今日は恐山浅虫温泉から出発し竜飛岬から弘前までの行程だ。竜飛岬までは海を見ながらの快適なドライブだ。
歌に歌われたような景色ではなく、ごく普通の景色だった。竜飛岬には階段の国道があった。
竜飛岬から金木へ行き太宰治の斜陽館を見た。中々素晴らしいつくりの家で昔の大地主の館といった雰囲気だった。銀行もやっていたそうで金庫やカウンターなどもあった。要するに金貸しだ。小作人から年貢米で搾取して、更に金を貸して搾り取る算段だ。余り気分の良い館ではない。太宰の不幸もそんなところに源泉があるのではないかと思われる。いわば太宰治の原罪だ。
つづいて五所川原の立委武多(たちねぷた)の館を見に行った。町に入ったら高い建物が目に付いた。多分市庁舎だぞなどと言っていたが、それはネプタを入れる建物だった。一台の規模が7階建てのビルに相当する22メートル、巾6メートル、重さ約17トン。エレベータに乗って4階まで昇り、周りを周回しながら見て降りてくる。これは本当に大きなもので圧倒される迫力だ。
更に車を飛ばして、弘前まで行った。一寸遅くなったので心配したが、旧弘前図書館や東奥義塾外人教師館などを見ることが出来た。
追手門広場にある洋風建築のミニチュア館(実に良くできており、沢山あった)
東奥義塾旧外人教師館(明治維新前に外国人の教師を雇い、教育に充てていたことは、弘前の先見性と見識の高さを物語っている。外人教師館は中々の洋風建築で、子供の遊び部屋に冬の寒さを考慮して、ブランコが取り付けてあったが、いかに外人教師を大切にしたかが窺い知れる。)
弘前城はもう係員が帰ってしまい有料地域にも只で入ることが出来た。お城には駐車場が無く弘前市立観光館の駐車場に停めた。最初の1時間は無償で、2時間近くでも100円だった。ここがお城観光の所定の駐車場だったようだ。
弘前城(全体の構えは実に立派な城だが、本丸は風格はあるが小ぶりでシャビーだ。焼けた後、移築したものだそうだ。)
5時を過ぎてしまったので藤田記念庭園、青森銀行記念館やカトリック弘前教会など幾つかの予定がいけなかった。
今回の旅行で唯一インターネット接続が出来たベストウェスタンホテルニュー弘前
ホテルはJR弘前駅近くのベストウェスタンホテルでカーナビのガイドで問題なくつけた。チェックイン後、近くのライブハウス「山唄」で津軽三味線のライブを聴いた。野太い音色で若い二人の三味線には一途で真面目な力のこもった演奏で、感動した。
秋田生/青森育住吉
竜飛岬は冬が雰囲気出るかもしれませんね。斜陽館は昔は宿泊できたのです、いい宿だったなあ・・・。ちなみに、私の母方が弘前でよく遊びに行きました。
ANZO
弘前は物心両面で豊かな町ですね。私は水戸で結構いいところと思ってましたが、藩校だった弘道館以外は、お城も何もないので負けたなって感じです。徳川は身内に厳しかったみたいですね。