冬のパリ旅行6 (モンサンミシェル) 12月24日

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今日はクリスマスイブだ。いつもより早く起きて9:30集合のパレロワイヤル駅前広場へ行った。高速をパリから西へ200㎞ほど走って、フランスで認定された美しい村の一つ「ブヴロン・オン・オージュ村」で昼休み休憩を取った。連日食べ過ぎでいたので、アップルパイパンだけを食べた。ここは有名なリンゴとシードルの産地だ。ミシェランの一つ星レストランがあると聞いて見に出かけたがお休みだった。冬はやっていない様子だ。

村役場、TABAC、17世紀の古い木造の家、オミヤゲヤ、雑貨屋さん、カフェ、パン屋、バー、クレープ屋、おもちゃ屋、酒屋がありそれがすべてだった。人口200人の村だ。

更に2時間以上走ってモンサンミシェルが見える地点までたどり着いた。暫く走って駐車場に付き、そこからはシャトルバスで門の前1㎞先まで着いた。

フランスは平らなので遠くからでもモンサンミシェルが見える。

モンサンミシェルは島の周りに溜まった砂を流すために歩道に代わって歩道橋を建設する工事の真っ最中だった。「海の中に浮かぶ中世の孤高の修道院」というイメージで来たので一寸がっかりした。どの観光地でもそうだが一番条件の良い日に一番良い角度から写した写真が観光ポスターに載るので観光客がそのような景色を見るのはほとんど不可能だ。

「砂の泥に埋まった壊れかけの古代のお城」が第一印象だった。遠くからも分かる壊れたところが2カ所見えていた。アバンセ門(王の門)から入った。

高い所は海抜約100mで階段が400段ある。ガイドが一番急な坂道を選んだので腰痛の身としては辛かった。門前町から幅80㎝位しかない道へ入り、急な坂を上った。身体を斜めにしないと両脇の壁に当たってしまう狭さだ。太って体格の良い欧米人はここを通れない。暫くなんぎしながら登ったら修道院入口(チケット売り場)へ着いた。これから先は比較的楽だった。

西のテラスからは海が望めた。修道院付属教会からイスラム風の回廊(パティオ)へ出た。柱が2本ずつ並んでおり、少しずつずらされて配置されているために歩くと微妙に景色が変わる。次いで食堂へ行った、突き当りのみに窓がある部屋だ。歩いていると部屋の両側にも窓が見えてきた。円柱が大きくて最初は見えなかったのだ。寂しい島の無聊を慰める仕掛けなのだろうと思った。食堂の下に貴賓室があった。

左から回廊、食堂、そして貴賓室

これもイスラム風で柱と天井がアーチで結ばれていた。個性的な造りだ。サントマドレーヌ礼拝堂、そして巨柱の間があった。直径2メートルもある巨石が10本ほどもあり、柱となって上の階を支えている。多分これ程のものは不必要だろう。神の名のもとに行えば何でも可能だったのだ。次いで大車輪の間だ。車輪の中へ人が入りモルモットのように動いてリフトを動かして荷物を上げるのだそうだ。人力貨物エレベータだ。サンティティエンヌ礼拝堂から散歩の間(運動不足解消のため)そして騎士の間(ここで修道士が写本や細密画の制作をした)そして天井までの大きな暖炉を見て下へ降りた。

人力貨物エレベータとサンティティエンヌ礼拝堂

回りの海(夕日で輝いていた)

帰り道(行きより景色が良く見えて楽しい)

ビューポイントを通り、一寸遠回りして大道理へ出た。予め夕食はオーダーしておいた。ラム焼肉、ムール貝とビールの夕食だった。席に着いたらすぐに料理が出てきた。

門前仲町の風景とレストラン

今日はイブなので従業員は早く帰りたいのだそうだ。食べ終わるか終らないのに「Finished?」と形だけ聞いて皿を下げて行ってしまった。サービス精神やCustomer Firstの思想は全くない。自己中がレストランをやっている。1億人近くの観光客がいつまでフランスへやって来るのか疑問だ。

モンサンミシェルの夜景。これを見るために遅い時間のツアーを選んだ。だが大したことはなかった。

帰りのバスでは爆睡していたらいつの間にかパレロワイヤル広場まで着いた。23:20になっていた。旅行社にホテルまで送って貰った。