「闘え、日本人」を読んだ

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日下公人さんの「闘え、日本人」・・外交とは「見えない戦争」である‥を読んだ。

この著書を読むと「戦闘力」「外交力」を亡くした日本のありようが良くわかる。「日本国憲法」には「恒久平和」が高らかに謳われている。しかし、世界中のどこを見ても「恒久平和」を信じられる状況にある国はない(日本を含めて)そうである。

 これは極端かもしれないが戦争が常態であり「平和」とは戦争と戦争の間の一寸の時間との考えがある。こう考えると平和なときに何をすべきかが分かってくる。 次の戦争に備えてあらん限りの「外交努力」と「政略と戦略」で以って「自国の有利なポジションの確保」に努めることである。

 外交とは戦力をバックにした、又は戦争を前提にしたぎりぎりの国益を守るための努力の全てなのだ。この前提に立てば、「善隣友好」を国是とする日本の外交はすでに「外交」ではない。「仲良しクラブの会員」でしかない。「外交官」は必要ない。

 日露戦争時の「外交官のあり方」と現状を比較すれば問題がどこにあるかは明白である。日本外交は世界世論を味方につけるために外国記者団の受け入れを積極的に行った。アメリカの世論を重視して金子賢太郎を特使として派遣した。ヨーロッパの明石大佐に無限の予算を与えてボルシェビッキ支援を積極的に行い、ロシア皇帝の一番怖がる「革命」を支援した。

 「善隣友好」を前提とすると「友好」を人質に取られて「屈辱外交」を強いられることになる。外交官も「友好」をたてに取られ、「赴任地の利益」・「赴任地との友好」を優先する「非外交官」になってしまう。 日本国は「『外交とは何か』『外交官のミッションは何か』を根本的に問い直す」時期に来ている。遊んでいる場合ではない。

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