修禅寺旅行の最終日、今日は帰るだけだ。来るときのコースとは違った道筋を辿ることにした。修善寺から三島へ出て、三島で庭園と水辺を見て、名物のうなぎを食べて帰ることにした。軽快に走って来た道も三島に近づくにつれ、渋滞が激しくなり2km以上がのろのろ運転になった。やっとの思いでJR三島駅までたどり着き、駅前の楽寿園の駐車場に車を入れて「庭園」を鑑賞した。駐車料金は2時間2百円と安かった。
「楽寿園」は元小松ノ宮邸で立派な和風の庭があった。汚い歴史資料館や子供の遊具などがあり、庭園全体に統一したコンセプトがなく雰囲気を台無しにしていた。自治体等がこの様な施設の運営を行うと碌なことはない。庭のメンテナンスも不十分で、至る所で和風庭園としての趣を壊している様が見て取れた。
いつも小石川後楽園を見ているので、庭を見る目が肥えているのかも知れない。小石川後楽園の日本一のメンテナンスと比較してどうこう言われても気の毒だ。が、文化遺産を預かるからにはそれなりの覚悟とノウハウは必要だ。三島は徳川幕府の直轄領で代官が治めていたそうだ。転勤の多い官僚である代官で、赴任地を愛した人は少ない。「水戸黄門」でも「暴れん坊将軍」でも明らかだ。苛斂誅求してお金を貯めて賂にして出世し江戸の要職に就くのが悲願だ。代官で地元に尽くそうとしたものは少ない。庭園の管理などが出来ないのもこのあたりから由来しているのかもしれない。百年経っても学べないとは恐ろしいことだ。
「楽寿園」の南門を出て、「源兵衛川水辺の道」を歩いた。とても綺麗な水だった。が少し歩いていて気が付いた。岸辺の住宅からの白い生活排水が流れ込んでいる。中流から下は水が大分汚れていた。素晴らしく整備された地区だがこれではやはり台無しだ。この地区には下水道が完備されていないようだ。観光は総合産業で社会基盤のインフラが整備されていないと、このような「ちぐはぐ」が出てきてしまう。鯉が泳いでいたが洗濯の排水などを吸い込んでいればその内「奇形」になってしまう。
散策の後、近所にあるうなぎや「桜家」でうなぎを食べた。一寸道に迷ったが駅の近くまで行ったらうなぎの匂いがしてきてどの方向にあるのかが分かった。20人以上が列を成しており、40分ほど待って中へ入った。中で又待たされて、結局食べ終わったのは店に着いてから1時間15分後だった。(後でこのブログを書くためにGoogleで検索したら2年ほど前にこの老舗の当主44歳が詐欺罪で捕まり執行猶予付の判決を受けていたことが分かった。当主が犯罪者でもこんなに沢山の人たちが旅行案内書を持って列を作って食べに来るのはいささか平和ボケとも言える現象だ。美味ければ良いのか?これでは勧善懲悪も何も無くなってしまう。)
待っている間に隣に座った倉敷から来られた方と話をした。ここのうなぎは美味しくてもう数回来ていること、おしんこも美味しいことや水辺では一寸離れているが「柿田川湧水」が良いことなどを聴かせてくれた。湧水は次回だ。
うなぎは結構美味しかった。一寸気になったのはうなぎがとろとろで正体がなく持ち上げると切れてしまうことだった。思い出したが、東京丸の内の帝国劇場の地下にも同じ名前の「桜家」があり同じ様な味だったことだ。ふわふわとした甘い味で美味しかった。妻に言わせればもっとシャキッと歯ざわりがあった方が良いとのことだった。それもいえるなとも思った。主体性は余りない。これくらいの「うなぎや」は東京ではいくらでもあるのではとも思った。世界の美味が集まる東京よりは、地方で有名になった方が相対的に有利だ。三島の他のうなぎやは不味いと後で聞いた。「証明」終わり。
3時5分に沼津インターから東名に入り4時5分に横浜あざみ野の自宅へ着いた。これ以上の借金や特定財源での道路建設には反対だが「高速道路」でなければこの時間では絶対に帰れない。ルートは勿論違うが行きにはドアツードアで数時間かかったが、帰りは途中からとは言え、「1時間」と効率が良かった。一寸飛ばしたが。
宮武克己
95年から97年までの 2年半、仕事で三島にいた 宮武にとって、三島はなつかしい・すばらしい街です。 桜家のうなぎは ご指摘のとおり、ちょっとやわらか過ぎます。接待にしか使ったことなくて、もっぱらは「本町うなよし」ばかり行ってました。庶民的店構えの店で、宮武は1,200円也の珍味盛り合わせ(うなぎの骨せんべいetc.)を肴にBEERをカプカプ飲むのが楽しみでした