最近韓国に興味を持っている。渡部昇一と呉善花の対談集「日本の驕慢(おごり)韓国の傲慢(たかぶり)」を読んだ。ブックオフで買った1993年刊行の古い本だ。対談の中身にはそんなに古さを感じなかったのは、その当時と今でも日韓の関係が余り変わっていないからかも知れない。
朝鮮は中国が明から清に代わる時に明についてしまい、清からは筆舌に尽くしがたい屈辱を受けたそうだ。第2次世界大戦でも朝鮮戦争でも中国・ロシアのお陰で南北に分断され今でも酷い目に逢っている。しかし日本には酷い目に逢ったと声高にののしる世論はあっても中国を非難する声は殆ど聴かない。中国は何をするか分からないが、日本なら非難しても安心なのかも知れない。甘えか?
韓国から見ると中国は父親で日本は弟なのだそうだ。どんなことをされても父には逆らえないが、弟に理不尽なことをされては許せないとなる。そもそも日本が弟だと思っていないことがすれ違いの元だ。
朝鮮戦争でも日本は他人(韓民族)の不幸を尻目に儲けて大きくなった。と韓国人は思っている。しかも「弟の分際で」だ。
朝鮮戦争ではアメリカは半島を通して日本までロシアや中国の共産主義の思想・政治体制が浸透してくるのを心底恐れた。マッカーサーは戦略上の理由から旧満州地域の爆撃を主張した。朝鮮を制圧するにはその補給基地を叩くしかないからだ。しかし原爆戦争になるリスクを恐れたトルーマン大統領(当時)によって解任された。
この時になってマッカーサーは日本にとっての「防衛線としての朝鮮の重要性」をやっと認識した。日清・日露戦争・朝鮮併合の歴史に対して一定の理解を示した。そこでマッカーサーは極東裁判の行き過ぎを認めてアメリカ議会へも働きかけをしたそうだ。
朝鮮戦争が日本にとって有難がったのは「特需」で潤ったことだけではない。もっとはるかに重要だったのは共産主義台頭への防波堤として日本の「再工業化」をアメリカが認めたことだ。アメリカはこれが無ければ日本を農業国にしてしまおうと考えていた。
日本は既に太平洋戦争当時でも立派な工業国だった。多数の空母艦隊を持ち、当時世界に冠たるゼロ戦を満載してアメリカと戦った。アメリカと対等に戦った国など世界中何処にもない。多分これからも出て来ないはずだ。石油や鉄鋼をはじめとする国内資源のない国にとって、「平和でないと生きてゆけない」ことの現実を日本が悟った戦争だった。
この対談で面白いことが一つ分かった。朝鮮では商業や工業の人は身分が非常に低く、歴代の王朝も産業の振興などには興味がなく、地方に何か良いものがあれば地方を治める両班の支配者が中央への賄賂として根こそぎにしてしまったので工芸や産業が育たなかったというのだ。
朝鮮は中央集権国家だ。群雄割拠の時代も、封建時代もない。日本では封建時代に各藩の「殖産興業政策」で工業や商業更には開拓などで農業さえも興った。今の韓国で中小企業が育っていない「大元」がここにあったのだと思った。存在するものには理由があり、存在しないものにも理由がある。恐ろしいことだ。
みやたけ
安蔵さん 詳細解説ありがとうございます。おかげさまで、本を読まずとも概ね本旨がわかりました。(なんだか得した気分です) わたしも、夕べ、時間つぶしにブックオフで買ったばかりの「わが友 本田宗一郎(井深 大著:1991年刊)」をいっきに読みました。 ともに亡くなったあとにこうした書を読んでみるのも、かえって感慨深いものがあります。 冬の気配感じつつも まだ”読書の秋”でしょうか・・・