日本帝国海軍は米海軍の拠点パールハーバーの攻撃、イギリス旗艦プリンスオブウェールズ、戦艦レパルスの撃沈で航空兵力の威力を英米に知らしめた。英米はこれを機に航空兵力の増強に海軍兵備の舵を大きく切った。
日本帝国海軍は頑なに「大鑑巨砲主義」にこだわり、その結果生まれたのが恐竜のごとき時代遅れの「戦艦大和」だ。戦艦として優れたものであることを否定する人は少ない。
航空戦の時代になってYAMATOは出てきた。多分数年遅かった。YAMATOの企画自体が悲劇であり、この乗組員に選ばれたことは確実な死を意味していた。
映画の戦闘場面も悲惨極まりないものになった。しかし、YAMATOが轟沈された戦闘はもっともっと凄惨なものであったことと思う。多分映画では「映倫カット」の類のものだ。 映画館の座席の同じ列の中年と言うより高年の女性が映画上映の間中、声を上げて泣きじゃくっていた。誰か身内にでも搭乗者が居たのかも知れない。
このような悲惨な戦争に若者を追い込んだ軍の首脳・国の指導者で責任を取った人を知らない。日本はミドルマネージメントの国でトップにはいつも人材がいない。農耕民族だからかもしれない。先例のない決断、海図のない航海は苦手なのだ。
最後にYAMATOへの感想
映画の上だけのことかも知れない。不十分な知識・情報で言い切ってしまうご無礼をお許し願いたい。・・・雲霞の如くやって来る米軍機に対して大砲で応戦する有様は「大鑑巨砲主義」の悲劇も窮まり、不自然ですらあった。また、対空防御の機関砲や機銃砲の砲座は剥き出しで、まるで殺してくれみたいな感じで設計ミスかと思われる。また砲弾も機銃砲のカートリッジも最後には人間が手で運んでマウントしなければならないようになっていた。これでは海が荒れた場合や搭乗員に損傷があった場合には何も出来なくなる。
これだけ自動化の得意な日本人がこの時代には何をやっていたのか理解できなかった。ゼロ戦も最後には出来上がったものを牛車で飛行場へ運んだそうだからこんな物かも知れないが、悲しい。この時代に生まれなかったことに感謝したい。