トラノヌオーボ近隣へドライブ(13.9.6)

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結構「イタリア疲れ」したたので今日は安息日にした。  トラノヌオーボの中心地へ行き、広場に駐車して街を見学した。小さな村なのにレストランが6軒もあり、教会も2つあり裕福な感じだった。第1次大戦と第2次大戦の戦没者の立派な慰霊碑があり戦没者全員の名前が大理石の名盤に刻印されていた。

フランスのボルドーを回った時にも同様の記念碑がありレジスタンスの英雄を祭っていた。フランスは戦勝国なのでそうしたのかと思っていたが、日本と同じ敗戦国のイタリアでも戦没者を祀っているのには驚いた。200万人が亡くなった日本ではこのようなものはどこにもない。皆団体で靖国神社入りだ。A級戦犯と一緒に。

立派な教会とその内部およびもう一つの教会(宗派が違うのかな)

トラノヌオボのレストラン(一番高い店と大衆的な店)

隣のネレート村にも中心地に同じような慰霊碑があった。日本では国家の命令で、赤紙一枚で召集され命を無くした人達へのレスペクトが足りないと思った。進駐軍が歓迎しなかったことや左翼が反対したことなどが思い起されるが日清戦争や日露戦争でもその様なことをしなかったので根が深そうだ。

車で数㎞いった隣村のネレートも結構立派な村だった。だがあまりにも人が少ない。半分死んでいた。

2つの教会があり、広場には立派な噴水があった。しかし売り家や貸家の表示が多く、表通りはシャッター通りになっていた。

トラノヌオーボとは村の勢いが違う感じだ。レストランも1つか2つしかなく立派なのもではなかった。それでも町の中心の一等地に戦没者の立派な慰霊碑があった。教会の裏の大きな空はあくまでも青かった。これがイタリア語のazuroなのかな?

帰りは殆んど迷わずにエミデオペペの家にたどり着いた。買い置きの食材で昼食をアレンジして食べた。疲れたのでちょっと昼寝をした。昼寝で元気になった。イタリア南部は9月になってもまだまだ暑い。この地域では商店もほとんどが昼休みを取り、午後の町は死んだようになる。夜になるとまるでドラキュラのごとく元気に街へ繰り出してくる。

今日の夕食はエミディオ・ペペの家のレストランでした。隣のテーブルにはカナダから来た8人が座っての賑やかなディナーになった。その他にも4名のお客が来ており、ペペファミリーも一緒なので食堂はほとんど満席だった。ハム類のアンティパストに始まり、フェンネルのパスタ、ガチョウの焼煮、牛肉の焼煮そしてオードブルにはイチジクのタルトを食べた。これは絶美味しかった。

今日は休肝日で酒は飲まずに寝た。ここアブルッツイでは空はあくまで青く、白い雲が実に綺麗だった。余り移動しなかったがとても充実した一日だった。空を見ているだけで元気になる。美しい空だ。