伊香保温泉旅行2(蘆花記念文学館、富岡製糸場、渋沢栄一記念館)

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旅館で和の朝食を食べた。すごく量が多い。私はご飯とみそ汁と納豆と海苔と生卵のシンプルな朝飯が一番好きだ。お金を取るところはそうはさせてくれない。

今日は文化視察・観光だ。先ず近くの徳富蘆花記念文学館へ行った。今まであまり興味のなかった作家だったが詳しく知れば結構面白いと気付いた。「不如帰」が大当たりしてそれだけで一生食えるお金を稼いだ様子だ。国劇でも映画でももてはやされた。ヒーローやヒロインの設定も巧みだった。

この後は若干の時間をかけて富岡製糸場へ行った。中学時代官業の民間への払い下げの例として教科書で見て以来の快挙だ。思っていたよりもはるかに大きかった。しかし大部分は倉庫だったが。ガイドに付いて40分ほど見学した。明治5年に1年半ほどで作り上げられてそうだ。すごいスピードだ。

「お雇い外国人」フランス人ブリューナの指導の下に作られ、彼の指導の下で操業を開始した。日本の近代産業の草分けの工場だ。ユネスコの世界遺産への登録を意図しているようだ。駐車場がないので困った。すぐ先に従業員用の広大な駐車場がありあと100台くらいは入れそうだった。大部分が空き地で従業員の車が2,30台停まっているだけだった。官業はこれだからいやだ。100年経っても官業払下げ前の習慣が今でも残っているようだ。こんなことでは世界遺産への登録応援隊にはなれない。

昼飯をと思ったが2時半過ぎていたのでどこも閉まっていた。この後深谷の渋沢栄一記念館へ行くことにしていたので道すがら見つけることにした。ところが何処にも食べるところがないのだ。仕方ないのでコンビニでおにぎりを買って食べた。都会の常識が通じないことを知った。

やっと着いたと思ったらなんと「渋沢栄一」という地名がありそこへカーナビが連れて行ってしまっていた。もう一度「渋沢栄一記念館」で入れ直してやっとたどり着いた。公民館と一緒の建物だった。係りの人が簡単に説明してくれた。かなり詳しく図表などで説明の展示がなされていた。お宝類は東京の記念館にありここには書いたものしかないと係りの人はぼやいていた。渋沢栄一直筆の書が壁一面に張られていた。中くらいの文字が得意そうだった。

そのあと地図を貰ったのでそれを頼りに渋沢栄一の生家を訪ねた。丁度係りの人は戸を閉めているところだった。入っても良いか聴いたら「良いですよ」とのことだったので、屋敷の中へ入った。敷地も結構広く蔵が2つも3つもあった。家は総2階建で、2階では蚕を飼っていたそうだ。立派な家だが抜群の家ではなかった。

ここから日本の資本主義を創り上げた偉人が出たと思うと感懐にふけった。実物大の写真があったが、渋沢栄一は身長155㎝で今の常識では背が非常に低い人だった。この体で180㎝を超える外国人相手に交渉をまとめるためには相当の胆力が有ったのではと改めて尊敬した。

渋沢栄一の母がらい患者の世話を下と伝えられるご神水が出たとされる鹿島神社とご親睦の切り株

この後近くの鹿島神社まで車で行きそこの境内に駐車して、渋沢栄一の10歳年上の論語の師匠「尾高藍香」の生家を見に行った。通りに面した立派な家だった。子孫の方が今でも住んでおられる様子だった。

この後日本煉瓦の工場跡地を見に行きたかったが地図にも出てなかったし旅行本「るるぶ」にも「まっぷる」にも載っていなかったので諦めて東京へ帰ることにした。関越は案の定出口から7㎞の渋滞とのことだったが、もっとずっと前から混んでいた。外環道へ出て三郷まで戻り、池袋経由で飯田橋まで戻った。最後にえらい目に合った。ウィークデイの旅行はラッシュを避ける工夫が欠かせないと思った。