今日も移動日だ。アマルフィからバスでサレルノへ行き、そこでインターシティに乗り、フェランディーナFerrandina へ行き、そこでピックアップしてもらい、世界遺産のサッシの街「マテーラ」へ行く。
バスとインターシティの乗車は心配だった。渋滞するとバスは遅れると脅かされていたし、インターシティも乗ったことがなかったから。6時45分に起きて朝食も取らずに、7時25分にチェックアウトし、荷物を転がしてバス停まで行った。バスは2分遅れで出発し、サレルノへはほぼ定刻に着いた。通勤の人達が結構沢山乗っていた。
駅前に止まると思っていたら全然違う海側の公園で止まってしまった。駅に行く人達ばかりではなさそうなので何人かに駅の方角を聞いて駅まで行った。最後には駅のすぐ前で聴いていた。Dov’e la centrale stazione ? (駅はどこですか)と聞いたら、Li. と指差してくれた。なんと駅の真ん前だった。
4番ホーム(binario)から出発することは分かっていたが、1号車が前か後ろかはっきりしなかった。編成が長いので前か後ろかで間違えると大きな荷物をもっての移動は大変だ。何人かに聞いたが駅員に聞けとか言ってハッキリしなかった。反対方向へ行く列車の1号車のあたりへ来るだろうと山をかけたがそれでも心配だったので近くにいる人に聞いたら、英語を話せるかと聞いてきたのでSiと答えたら「ここだ」と言ってくれた。その通りだった。
列車は混んでいて2等車には立っている人も多かった。我々はコンパートメントの一等車だった。我々の席には既にお爺さんが連れた孫達二人が座っていた。この部分のブログは列車の中で書いた。この列車が凄まじい。一等車なので席はまあまあ綺麗だが、窓がすごい。水垢がこびりついて外が良く見えないのだ。イタリアはどこへ行っても汚いところが多い。清潔感にはあまりこだわらない民族のようだ。ローマ人が風呂好きだったのは今のイタリア人とは別の民族だったのかも知れない。
フェランディーナへは定刻に着いた。イタリアは山が多く、海まで迫っているのでやたらトンネルが多い。海に沿って走っているのに海は全然見えなかった。
フェランディーナでは旅行社手配の運転手が迎えに来てくれていた。信頼性の低いイタリア人がちゃんと迎えに来てくれるのか心配だったが、ちゃんと定刻に来ていた。この運転手は出発するとすぐにラジオをかけた。まるで話しかけないでくれとばかりに!英語が不得意の様子だった。これでは国際観光には向かない。
かなり走ってマテーラMatera の洞窟ホテルへ着いた。ホテル名はCasa di Lucioと聞いていたが、ここにはサンタンジェロと書いてあった。同じオーナーのホテルでこのホテルで受け付けや朝食などをこなしているとのことだった。チェックインの2時までには時間があったので昼食を取ることにした。この近辺で一番おいしい店はどこか聞いたら先の路地を曲がったところにある「Francesca」だと言った。これは私がイタリア語を習っている先生と同じ名前だった。洞窟の中に作られた上質なレストランで、6品のアンティパスト盛り合わせと生パスタのスパゲッティ、ステーキをオーダーした。生ビールも4杯飲んだ。料理はすべて美味しく、量もたっぷりあった。料金は60ユーロを切っていたので、1人前3千円くらいだ。1ユーロ100円はおかしいと思った。入った時にはガラガラだったが帰るときには満席になっていた。こちらの昼食時間には早かったのだ。
2時にホテルへ戻ったらチェックインは2時半だという。スローライフのイタリアでは30分は誤差の内らしかった。そうは言ってもこれだけ暑いと時間通りには仕事は出来ない。35度を超える日が続いていた。3時半ごろにホテルを出て、洞窟住居「サッシ」の見学に出かけた。先ずホテル近くの丘の洞窟住居群に面したサン・ピエトロ・カヴォオーゾ教会へ行った。次いでこれも近くの洞窟住宅を見たが、展示が良くわからなかった。2ユーロも取られたので損した感じがした。同じ岩山の頂上にある「マドンナ・デ・イドリス」へ行こうとして岩山を登ったが余りにも急で暑いので途中で断念した。暫く急峻で凸凹の岩の上に作られた道を歩いた。木陰も何もない太陽で焼き上げられるようなルートを難行苦行の末に車の通る道に出た。ごく普通の路がこんなにありがたいと思ったことはなかった。この道路をしばらく歩いたら現代美術館のパラッツオへ着いた。碌でもないアートが沢山展示されていた。只だったがタダでも見たくない絵ばかりだった。中世から近世にかけて美術王国を誇ったイタリアがこんなに劣化してしまったのだ。ガリバルディによる国家統一で貴族が滅びパトロンを無くしたことも一因かも知れないが怖いことだ。
マテーラのサッシ紹介youtube。ちょっと長いが力作だ。
更に歩いて「ドメニコ・リドーラ国立博物館」へ行った。ドメニコ・リドーラが主導して行われた石器時代からの出土品が綺麗に整理されて展示されていた。南イタリアや周辺の島々からの出土品を網羅した立派なコレクションだ。ここも分かりづらくて行き過ぎてしまってから人に聞いて引き返して入った。
隣りには正面ファサードに骸骨を沢山あしらった「プルガドリオ教会」があった。立派な教会だ。しばらく歩いてサン・フランチェスコ・ダッシジ教会へいった。同名の広場に面した立派なファサードで夜間の照明が施されていた。中に入って見学した。
続いて(道路標識が不十分なため)途中迷ったが何とか「ビットリオベネト広場」(盛り沢山なGoogle写真集)へたどり着いた。この広場の一角にサッシ住宅で埋め尽くされたガベオーゾの擂り鉢状の地形が一望できるビューポイントがあった。夕焼けに染まったサッシ住宅群は圧巻だった。
坂を上り続けてドウオモまで行った。ドウオモ(多すぎるgoogle の写真集)は修復中で例によって外から見るだけになった。地図には出ていたので細い道を下って近道を帰ろうとしたが地元の人が「遠いけどビットリオベネト広場まで下りて、帰った方が良い」と忠告してくれた。それでも一寸だけショートカットしてホテルの上の崖を下って降りた。岩だらけの急なでこぼこ道で滑り易かったので結構難儀した。ホテル近くのサン・ピエトロ・カヴォオーゾ教会が見えた時にはほっとした。しかし階段はまだまだ沢山残っていた。
一休みして夕食をホテル近くのレストランでとることにした。昼食を取ったフランチェスカがこの近辺では一番のレストランだが、妻が昼夜同じレストランに反対した。その隣のカジュアルレストランにした。ここも洞窟風のつくりで、カジュアルでお洒落なレストランだった。料理は皆安かった。女性の店長が実によく働く。イタリアにもこんな人がいることにビックリした。シャンパーニュを取り、アンティパストを何種類か頼んだ。皆美味しかった。シャンパーニュは特に指定しなかったらdemi secco(中辛口)が来てしまった。案の定、食中酒としてはちょっと甘かった。
昼にこのカジュアルレストランで夜を本格レストラン「フランチェスカ」にすれば良かったが後の祭りだ。洞窟ホテル「サンタンジェロ」のレストランも上等で景色も料理も良かったことが翌日の朝食で分かった。これはもうどうしようもない「後の祭り」だった。一食損した気分になった。後付けだが・・・