今日はナポリからアマルフィへの移動日だ。早目に起きて朝食を済ませてロビーで待っているとサレジオがベンツに乗って迎えに来てくれた。アマルフィまでは1. 5時間から2時間くらいとのことだったが山火事で高速が通行止めになり、渋滞し又回り込んで行ったので2時間ちょっとかかった。アマルフィへ行くには高い山を越えなければならない。昔は海からしか入れない所だった。急峻な坂を延々と登り、また延々と降りる必要があった。
アマルフィは海と急峻な山の間に開かれた山にしがみつくように立っている街だ。海の防衛だけを考えればよかったので、海洋国家アマルフィには最適な立地だったのだ。街の右端の塔の近くに建つ修道院を改修して作ったホテル「ルナ・コンベント」Luna Conventoに着いた。私のパソコンの壁紙になっている「アマルフィ」の写真と全く同じ風景で感動した。午後1時のチェックインまで時間があったので、歩いて街の中心へ出かけた。3分くらいの距離だった。ドウオモDuomoへ行った。立派な建築物だ。アラビア風のパティオがあり、地下にはお宝部屋があった。素晴らしい金細工の品々が揃っていた。礼拝堂もあった。いずれも優れモノだった。パティオのキリストレリーフの顔が削り取られていた。イスラムの支配を受けていた時もあったのだろう。狭い町なので1時間ほどで全部見てしまった。カプリ島よりは安いが物価は高かった。葦簀で屋根を覆った日陰の心地よい店へ入った。スパゲッティとハウスワインを注文し、生ビールも2杯ずつ飲んだ。料理は美味しくて量も適量でハッピーだった。明日のサレルノ行きのバス停を確認し、切符を買っておこうと切符売場へ行ったら閉まっていた。シエスタかな?一寸待っていたら女の人が帰って来たのでサレルノ行きの切符を買った。広場近くのナポリ銀行で両替をしていた妻が遅いので気になって中をのぞいたら、未だいたので安心した。年かさの女子行員が両替の金額を20ユーロ少なくよこしたのでクレームをつけたらあんたが仕舞ったのではないかとのジェスチャーをしながら身体検査をする仕草までしたそうだ。銀行員ですらこれだからイタリアは最低だ。お土産屋で名物のレモンチェッロを買おうとしたら小さな瓶が「10ユーロです」という。ふざけるなと言ったら4ユーロになった。一々面倒くさい国だ。
「ルナ・コンベント」ホテルは4星の高級ホテルだ。中庭も素晴らしかった。部屋はちょっと狭いが目の前にアマルフィ湾が一望できる白と緑を基調にした素晴らしいお洒落な部屋だった。床は皆年代物の白大理石だった。窓はサッシが新しくて、厚い2重ガラスがはめ込まれていたので、窓を閉めると波の音は一切聞こえなかった。更に外側には格子戸があり、内側には遮光のための鉄の扉が付いていた。分厚いカーテンもあったので完全外部遮断型のつくりだ。
2時間ほど休んでまたアマルフィの街へ出かけた。今回はショッピングをしようと思って色んな店を覗いて見た。何も買うものがなかった。
ドウオモの後ろの階段を上るとブドウ畑からのアマルフィの海岸の眺望がすばらしいと日本の旅行の本に書いてあったので幾つかの階段を試してみたが、どうしてもドウオモの後ろのブドウ畑へは出られなかった。急坂の登り降りを繰り返したのでくたびれた。お蔭で普通の市民の生活を垣間見ることが出来た。階段が多く車も入れない所なので日常の生活は大変だと思った。特に年を取った人には難行苦行の毎日だ。どうしても「ブドウ畑」へ行けなかったので、車の通れる比較的広い道に出てドウオモへ戻った。このタイミングで一斉に鐘が鳴りだした。あたり一面に響くのでどこで鳴らしているのか分からなかった。まるで反対方向から聞こえて来ていたがドウオモの隣の高い鐘楼の鐘が鳴っていた。圧倒的な音量だ。教会の物を言わせぬ圧倒的な支配下にあったことが分かった。余りにも煩い。
鐘つきが終わってもまだ弱い音が響いていた。日本の鐘つきと違いつき終わったら鳴らさないように必死で止めようとしたりしないので、しばらく鐘が鳴り続けるのだ。余韻を楽しむ風流の鐘ではなく、民を支配する圧倒的な音量のお仕着せがましい鐘だった。
ホテルへ帰り、7時45分に予め予約しておいたホテルのレストランで夕食にした。今日はシャンパーニュ(イタリアではスプマンテ)を飲むことにしたホテルのレストランからのアマルフィの夜景は素晴らしく、食事も大変おいしかった。何よりも食後にホテルへ帰る煩わしさがないのが素晴らしい。