南イタリア旅行6ナポリ(カプリ島、青の洞窟)

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青の洞窟(Grotta Azzura)は非常に混むと聞いていたので6時半に起きて、8時35分発の船でカプリ島マリーナグランデまで行った。面白いことにこの船便は時間ごとに料金が違う。8時35分の便は21.5ユーロで、9時半の便は18ユーロだ。マリーナグランデでグロッタアズーラ行きの船に乗り換える。思っていたよりも大きな船だった。途中ビューポイントへ寄り観光をしながらグロッタまで行く。したがって結構時間がかかった。

グロッタの入り口へ着いたら沢山の船が洞窟入りを待っていた。ここで4,5人乗りの小さな船に乗り換えて洞窟へ入る。1時間ほど待ってやっと小舟に乗り換えた。前の方にはいたがそれでも数組が私たちの前にいた。

船頭がJIAPPONESEと大声で言ったので、悪いと思ったが先に乗った。もう一組の日本人はどうせ時間がかかると思っていたようで後ろの方に居たので乗るまでに時間がかかった。妻がインターネットで調べて「日本人が優先されることがある」と聞いていたので私たちは半信半疑ながら前の方にいた。日本人はチップを沢山くれるからだそうだ。先にチップの相場を日本人で上げて置き、イアタリア人やヨーロッパのケチな人に見せつけるためだ。日本から数十万円かけて来ているので5ユーロや10ユーロのチップは何でもないからだ。早く見ないと時化たら洞窟には入れず永久に「神秘の青」は見られなくなる。

小舟に乗ってからもしばらく待たされた。波が高いと狭くて天井の低い洞窟の入り口に阻まれて小舟が入れないのだ。すぐ入口まで行って波が去って海面が低くなったタイミングでオールを船に挙げて船頭はリンボーダンスのように腰をのけぞらして、洞窟入口の天井に張られた鎖を手繰って船を引き入れるのだ。波が高いと船頭は天井の岩へ打ち付けられることになる。従ってイタリア人にしては珍しいほど慎重だ。お客も船の底に寝そべって危険を回避する。泥だらけになるので上等な服では行けない。

入ってみると確かに水の色は綺麗だった。入り口の底から入った光がスペクトル宜しく青色(イタリア人はBleu青色と言わないでAzzuro水色と言う)に輝いている。幻想的な雰囲気だ。しかしスキューバダイビングをしている人ならばくこれくらいの光景にはいくらでも遭遇できるのではと思った。

船頭がサービスでナポリ民謡「帰れソレントへ」「オーソレミオ」「フニクリフニクラ」などを歌ってくれた。ちょっと歌詞が怪しかったが歌い終えてくれた。グロッタの中は暗くて湿気が多くカメラのレンズが曇ってしまい何も写せなかった。チップは5ユーロにしようと思って5渡したら10にしてくれと言ってきかない。「中で追加でもう1周したではないか」「歌も歌ったではないか」という。仕方ないので10ユーロにした。5では納得しない場合に備えてもう5ユーロ持っていたが波が高く揺れるのでうまく隠せずなんと船頭が見てしまっていたのだ。

全員が見終えるのを待って船は来た時と同じ時計回りで丁度島を一周する感じでマリーナグランデに戻った。

ついでなのでカプリ島観光もした。ケーブルカーで島の上まで上がった。おつりが5ユーロ足りなかった。すぐ気が付いたので窓口へ行ってクレームを言おうとしたら言う前に5ユーロ出して来た。ケーブルカーを待っている時にその話を妻としていたら前後にいた2組の日本人から「証拠がないから負けるので」「5ユーロ足りないのが分かっていたのにクレームを付けなかった」と言っていた。まるで日本の外務省みたいな言い訳だ。これだから日本人は舐められるのだ。プライドと交渉力がない。大きな声を出して喚けば良いのだ。

マリーナグランデからウンベルト一世広場までケーブルカーで登った。比較的狭い広場だったが展望は結構良かった。 広場からトラガーラ展望台まで歩いて行くことにした。ウンベルト一世広場からの路は両側にフェラガモ、エルメス、プラダ、グッチ、シャネルなどのブランドショップがお揃いの白いシェードを張り出して軒を接して店を構えていた。壮観だ。こんなにブランドショップが集まった所を見たことがない。パリのフォーブル・サントノーレだって、飛び飛びだ。店が終わると個人の別荘や高級ホテルが海を見下ろしていた。ここはソレントよりも数段格上のリゾートなのだ。

トラガーラ展望台までの路は結構大変だった。暑くて上り坂続きだ。樹木の影は結構あったのでポンペイよりは数段ましだった。一生懸命行った割にはつまらない展望台だった。途中の路展望が綺麗だということだろう。写真を数枚写して帰り道に着いた。行く時に当たり付けていた道端の店でランチを食べた。皆結構高かった。いわば「軽井沢価格」だ。

帰りのケーブルカーへの乗り場が良くわからなくて何人もの人に聞いてしまった。マリーナグランデからジェット船でナポリのモーロ・ベルベッロ港へ帰った。

ナポリ観光は未だ殆んど何もしてないので、4時を過ぎていたがカステルヌオボ城と王宮を見ることにしていた。このブログは帰りの船の中で書いた。下船後ポートのすぐ近くのカステルヌオボ城へ行った。古いごつい城で海からの防備を主として海に隣接して建っている。2つの真っ黒で丸く厳めしい要塞風の塔とそれらに囲まれた真っ白い凱旋門からなっていた。両方の塔から圧迫されて凱旋門が窮屈そうだ。この時代の人達はデザインなど考える余裕は無かったのだろうが何ともちんけな城だ。

6ユーロ払って中へ入った。市の美術館が併設されており、比較的新しい絵画が展示されていた。感動を呼ぶような作品は何もなかった。近世のイタリアの凋落は絵画でも顕著だ。お城の他の部分も見たががらくたばかりだった。厚いお城の扉に大砲の砲弾であけたような穴が開いているのを見て、飾りの城ではないことを痛感した。30分ほど見て隣の王宮へ行った。

王宮は横長の巨大建築で何処から入ったら良いのか分からなかった。暫く見ていたらそれらしい見張り役?の人がいたので、王宮は何処から入るのか聞いたら、今日は休みとのことだった。「又かよ」と思った。「Mercoledi Chiuso(水曜日は休みだ)」と言っていた。せっかく来たのに残念で立ち去り難くウロウロしていたらその親父が、「庭だけなら只で入れる」と言った。最初から言えよと思ったが文句は言わないで中へ入った。イタリア人(特に官吏)は男女ともに総じて不親切だ。

王宮は横長の広大な建物で至る所が大幅に痛んでいた。ナポリ市も国もお金がなくて保守費用が賄えないのだと感じた。こんなに大きなお城を残されても迷惑というものだろう。補修してテナントを入れるとか、一部お店にしてメンテナンス料を稼ぐ手だったある。官僚だから言い訳が付けばいいのだろう。

夜しか見てなかったので隣のプレビシート広場へ回った。ホテルへの帰り道で昨日も買った同じ店でビールと水を買った。同じ種類の同じ数量で昨日よりも3ユーロも高かった。妻が怒った。結果昨日と同じ15ユーロになった。部屋でビールを飲み暫く休んだ。

夕食は有名なサンタルチア海岸へ行くことにした。プレビシート広場へ行き,さらに南へ下ると海岸へ出る。しばらく歩いてサンタルチア門を見て、超高級ホテルが並ぶ一帯を通り、卵城(カステル・ウオバ城)へ行った。

入門時間はとっくに過ぎていたが、皆が入って行くので付いて行った。大分歩いて日本の城で言えば天守閣に相当する高みまで登った。道は広くなだらかで馬や馬車で登れるようにしていたことが読み取れた。ロワールのシャンボール城みたいだ。海に突き出ているこの城はまさに要塞で、堅牢を究め、壁は2、3mもあるのではと思われた。ローマのサンタンジェロみたいな無骨な城だ。というより要塞だ。

城見学後ナポリ湾のヨットハーバーに面したレストランへ入った。高級ホテルの一部になっているレストランだった。客層も他とは全然違っていた。上質の料理を食べられた。しかもカプリ島の路上レストランで食べた昼食よりも安かった。このレストランの横には数艘のクルーザーが横付けされ、ヨットの中も丸見えだ。マホガニーの内装でお洒落な電気スタンドが煌々と燈っていた。フランスから来たらしい。トリコロールの国旗を掲げ、フランス語をしゃべっていた。知人や親せきなどがやって来て盛んにキスをしていた。まるで別世界だ。

イタリアでは国内の貧富の差だけではなく国際的にも貧富の差を見せつけられるので、この国の中産階級以下は悲惨だ。もう慣れているのかな?

帰りは結構疲れたし、比較的近いが全部上り坂の連続なのでタクシーで帰ることにした。途中タクシーがこのエリアへ来たので帰り車を捕まえようとしたがなかなか帰ってこなかった。仕方ないので高級ホテルが集まる一角にあるタクシー乗り場まで行った。

「ホテル・ルネッサンス・メデタラネオ」と言ったら、列の一番前の運転手がまさかという顔をして、「駄目だ」と言った。2列目にいたタクシー(多分順番では20番目くらい)を紹介してくれた。ここの連中は大物を狙い近場は相手にしないのだ。一日中客待ちしてだべっている。5ユーロと言ったらとんでもない10ユーロでないと行かないと言った。疲れていたのでOKと言って乗った。

運転手は息子が柔道をやっていると自慢していた。私も中学時代に柔道をやっていたので運転手に大外狩りはこうやるのだと教えてあげた。すっかり親密になった。「こんにちは」「有難う」は知っていたが夜の挨拶は何て言うのか聴いてきた。「お休みなさい」と3回教えたが無理そうだった。ホテルの玄関へ入るまで見送ってくれた。これもささやかな国際親善だ。イタリア語を習った結果が現れた。運転手は簡単な英語しか話せない。

そんなことで「超忙しい一日」が終わった。書いていて自分の行動力に驚いた。お休み・・