7:30に起きて、急いで朝食をとり、ホテル近くのポリテアーマ劇場へ行った。ここから2階建て市内循環観光バスCity Sight Seeing Palermoの2路線が出発する。まず市内の左半分を走るAライン(10時スタート)に乗り、次いで右側を走るBライン(14時スタート)ことにした。
Aラインはポリテアーマ劇場を起点に、イタリア有数のマッシモ劇場中心部の四辻「クアトロクアンティ」、ここを南へ下り、ステリ宮(後で分かったのだが、これが「地球の歩きき方」に出ていたキアラモンティ宮殿)、そのあとすぐに海岸通りに出て、オルト植物園、中央駅、王宮、ドウオーモ(膨大なグーグル写真集)、カテドラーレ、クアトロカンティを通り過ぎて、左折してローマ通りに入り、ブッチリア市場(膨大なグーグル写真集)とホテルの前を通ってポリテアーマ劇場終点に至るルートだ。
2階建てバスからの観光(目線が高いので街が皆綺麗に見える)
Aラインは11:30頃に一巡したので14時スタートのBライン乗車までは時間があったのでイタリア有数のオペラハウス「マッシモ劇場」のシアターツアーへ参加した。イタリア語と英語のコースしかなかったので英語のコースへ入った。イタリア人の英語は分かり易かった。劇場内は撮影禁止だ。シチリアの誇りをかけた大劇場だ。劇場前にはベルディの胸像があった。
「マッシモ劇場」のシアターツアー終了後、昼食を取ることにした。十分な時間があったのに、慌てて早くできる人の少ない店に入ってしまった。バール風の屋外店「ドリームバー」で、何と取次ぎをするだけで自分では作らない店だった。時間もかかり、スパゲッティは伸びており、マルゲリータも冷めていて美味しくなかった。第1回目の失敗だ。「レストランは混んでいる店を選ぶ」鉄則に反した結果だ。
昼食後、再びBラインを一周した。Bラインは同じくポリテアーマ劇場を起点に、マルキエーゼどおりを東へ進み、イギリス庭園(YouTube動画)を回って、幅の広い立派なリベルタ通(盛り沢山なグーグル写真集)を西進し、ポリテアーマ劇場の手前を右折(北へ向かう)し、マルフィターノ荘、ジザ城(グーグル写真集、行ってみたよりもよく見られる)、カポ市場(グーグル写真集)、マッシモ劇場、南下して海岸まで行ってポルト経由でまたポリテアーマ劇場終点に至るルートだ。
「ポリテアーマ劇場」主としてコンサートや劇を上演する劇場だ。同じ街にマッシモ劇場と並んでこんな凄い劇場があることは驚きだ。昔の繁栄がしのばれる。
パレルモ1のお洒落な「リベルタ通」ブランドショップも高級アパルタメントも皆この通りにある。真ん中の写真はイギリス庭園だ。
キアラモンティ美術館(膨大なグーグル写真集)と州立美術館を見るために再びAラインへ乗った。丁度メガネをはずして地図を確かめていたら車掌が突然「NO4」と叫んだので広げていたものをまとめて急いでバスを降りた。キアラモンティ美術館は何回土地の人に聞いてもわからなかった。後で別名であることが分かった。バスの地図でも“Palazzo Steri”と表記されており、「地球の歩き方『南イタリアとマルタ』」に記載されている『キアラモンティ美術館』は誤りなのだ。それは問題だが、パレルモには案内標識はほとんどない。「観光後進国」と言っても言い過ぎではない。豊富な観光資源に恵まれすぎているので慢心しているのだ。
Palazzo Steri近くのポート付近。対になっているのがFelice門だ。
やっとたどり着いたらなんと休館日だった。ほとんどの美術館が月曜休館なのにここは水曜日休館だった。近くで行く予定だった州立美術館もいくら調べてもわからないし、気温も35度を超え、暑くて疲れたので行くのをやめにしてホテルへ引き上げることにした。
ここでやっとサングラスを無くしていることに気が付いた。昼休みにミネラルウォーターを買おうとしてどこにも売っていなかったので、ホテルまで戻って、ミニバーの水を持ち帰って来た時か、慌ててバスを降りた際にバスへ置き忘れたのかどちらかだ。
とりあえずバスのスタート地点の切符売り場へ行き、英語でAラインのバスにサングラスを忘れてきたようだ。探してくれと伝えた。しばらく携帯電話で連絡していたが今巡回中のバスにあることが分かった。「Aラインのバスは5時ころにここへ戻るのでそのころに来てくれ」とのことだった。ラッキーだった。度の入ったサングラスだったので取られなかったのだ。一旦ホテルへ戻り、少し休んで、4時45分に取りに行った。私が依頼した女性は帰り支度を整えて帰ろうとしていた。Aラインのバスも既に着いていた。危ないところだった。イタリアでは引継ぎなどしないだろうし彼女が帰ってしまえば後の祭りだった。
観光都市らしい街の情景
時間があったのでホテルのバーでビールを飲んでいた。そこへ後からアメリカ人と思しき夫婦が来られて会話をしていた。映画「山猫」にも出たというレストラン「オステリア・ディ・ヴェスプリ」で夕食を取るのだと言ったら、バーテンダーが、「あのレストランはso,soだ」と英語で言ったのに対して一緒に話をしていたアメリカ人は「so,soはそこそこ良いという意味ではなく、悪いというニュアンスが強い」と直接はバーテンダーに対して言っていた。レストランはまあまあだが環境が悪いということだろうと善意に解釈した。
ホテルへ戻ってすぐに、イタリア語で電話をして、既に予約を取っていたのでそのまま行くことになった。ホテルのあるローマ通りを南へ1㎞弱下り、左折すればレストランのはずだった。このVespri通りを見落としたので行き過ぎてから、左折してもう一度左折してこのレストランへ出られるはずだった。
この界隈はゴミがやたら多く、車も沢山駐車していて店はなく人どおりも少ない気味の悪い通りだった。先に比較的大きな広場がありレストランの屋外席で大勢の若者たちがワイワイと盛り上がっていた。この角を曲がろうとした所で後ろから歩いて来ていた妻が悲鳴を上げた。小学校高学年位の男の子3人が逃げ去って行った。私も何が起こったのか良くわからなかった。妻は泣き出すし、途方に暮れた。この子たちが妻のしているネックレスを取ろうとして後ろから引っ張った様だ。ネックレスは取れずにドレスの紐をちぎって行った。
大声を上げたので広場で食事をしていた5,60人ぐらいの人達全員がこちらを振り向いて見ていた。そこの広場の繁盛店レストランの従業員がとっさにレモンの入った冷たい水をグラスに入れて持ってきてくれた。温かいこころ温まる所作だ。
お礼を言って改めてレストランの位置を確認したら最初は来た道を戻って右折すればいいと言っていたが、遭難に合った道は嫌だろうと思い直して、広場を右へ行ってさらに左へ行けばレストランは目の前だと教えてくれた。なかなかの心遣いだ。
レストランはすぐに見つかった。内装は粗野でワインの箱をモチーフにして壁に打ち付けてあった。奥の席が空いているのに階段下のちんけな席を指定してきた。「奥では駄目か」と聞いても「駄目だ」という。災難にあったことを告げても何もしてくれなくて「カモミールティーがいいんですよね」とは言ったが出して来る訳でもなかった。「紐が切れて困っている」と言っても「裁縫道具がないので」と言い訳をするだけだった。
怒って「何かしろ」と大声で言ったらやっとホッチキスを持って来た。何とか紐は止まった。先ほどの広場の繁盛店とこことではあまりにも対応が違う。妻がこの店は嫌だから帰りたいと言い出して、アンティパスト2品だけオーダーし、ビールを飲んで帰ってきた。それだけなのになんと75ユーロも取られた。「Tutti piatti sono cattevi.」(「料理は皆不味かった。」)とイタリア語で毒ついて帰って来た。
妻が落ち込んでいたので、タクシーを呼んで帰ることにした。なんと言うことでしょうか?すぐそこなのに9ユーロもかかった。文句言ったら「ここでは迎車料金が7.5ユーロもかかる」のだと言っていた。無茶苦茶な国だ。滅んでもおかしくない。そんなことで街中でタクシーが走っていることはまれだ。ほとんどがタクシー乗り場でカモを待って一日中ペチャクチャお喋りをしている。既得権益を守るためとしか思われない。結果雇用も減少しているのだ。同じ様なことをしている日本のことを思わずにはいられなかった。ロンドンタクシーを見習えと言ってやりたい。ちょっと嫌な一日のエンディングになった。“Travel is trouble.”を証明してしまった一日だった。命さえあればよいと思えば何でもないが・・・
付記:「山猫」レストラン「オステリア・ディ・ヴェスプリ」 はダイアモンド社「地球の歩き方『南イタリアとマルタ』」’11~’12に掲載されて推奨されている店だ。同じく推奨されていたほかの店でもひどい目に合った。パリでは最新号に乗っていた店がつぶれて既になかった。この本はあまり信用できない。広告費を取っていない「ミシェラン」の本を見た方が良いのではと思った。