FD松本工場のOB・OG会で松本へ

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私は昭和39年(東京オリンピックの年)から41年までFD松本工場で勤労の仕事をしていた。その当時ここで勤めていた人達で松本勤労OB・OG会を作って、年一回旅行をしている。

今回は念願の松本行きだ。新宿を10時のスーパーあずさで出発して12時過ぎに松本へ着き、駅前で食事をしてからFD松本工場見学予定だ。JR松本駅が立派になっているのに先ず驚いた。松本工場も結構拡張されていたが機能分散や海外展開で、今の従業員は1,700名とのことだった。パワー半導体や積算電力計などを製造している。積算電力計は周回遅れかと思っていたらスマートグリッドのお陰で最先端になってしまった。電力の多くを自家発電で賄っていた。

松本市内のお洒落スポットを主として車の中から写した

車で町をグルット廻ってから崖温泉へ行った。温泉は結構遠かった。前にこの会の幹部が松本カントリーへ行った時に泊って良かったので予約したそうだ。地元の人は「もっと安くて近くて良い宿が沢山あるのに」と言っていた。移動は全て松本に住んでいる元OG達が担ってくれていた。夕食は山の宿らしく山菜などが沢山出てきた。2次会を隣の部屋で遅くまで行った。女性組みは更に語り明かした様子だ。

鄙びた宿薬師平「茜荘」

次の日は先ず松本城を見学した。何百年と経っているのに歩いてもみしり共音がしない。頑丈な作りだ。あと数まだ百年はもつのではと思った。お城の中の階段が急なので疲れた。急な上に一段の高低差が極めて大きい。これでは下から攻めてきたのでは階段を上がるのがやっとで戦うことは出来ない。こんなところまで考え抜いてお城は出来ているのだなと感心した。松本城は平城なので尚更気を使ったのではとも持った。天守閣からの下の景色が美しかった。アルプスは曇っていて見えなかった。

松本城(悪い癖が出て絞り切れず6枚も掲載した)

天守閣から見た景色(オマケ)

次いで、旧制松本高校の跡地にある「あずさの森」で開かれているフォークアートの展示会を見た。車のナンバーから見ると全国から人が来ていた。ネパールから来た外国人もいた。美人だったので写真を写した。染物や織物など面白いものが沢山あった。

旧制松本高校の記念館を見た。木造だが立派なつくりで結構お洒落にできている。この時代の高校生は如何に恵まれていたのか実感できた。戦前はそのような一握りの階級があったのだ。

敗戦で没落したり色々あって、誇るべき教育制度はアメリカにより壊されて今の6・3・3制になった。ドイツはかなり抵抗して古い制度を残すのに成功したと聞いている。文化論争になると歴史の浅いアメリカはドイツに勝てなかったのではと思った。白洲次郎があの時代に活躍できたのはオックスフォードで培った英語力と人脈があったからではと改めて思った。アメリカ人エリートのマッカーサーの英国コンプレックスを上手く突いたのだ。

昼ご飯を地元の元OGのお勧めの料亭で取ることになった。山の中腹にあるツツジの綺麗な広大な庭を擁した館だった。にをを散歩して筍のバター焼きと筍の炊き込みご飯を食べた。当時の係長のTさんの誕生日でもありお昼にもビールで乾杯した。

 昼過ぎになってやっとアルプスが見えてきた。矢張り素晴らしい景色だ。松本に来てアルプスを見ないで帰るのではあまりにもつまらない。料亭から写した景色だ。

途中で寄った松本ワインの「山辺ワイナリー」ショップ

松本も観光には随分熱心だ。縄手通りや海鼠塀の町を整備して観光客を呼んでいる。

海鼠塀の町の一画には松本民芸家具の店もあった。

元は怪しげな飲み屋街だった地区を整備して観光スポットに育て上げた縄手通り

この後縄手通りと海鼠塀の町を散策して松本駅まで送って頂き、予定よりも1時間早めてスーパーあずさの自由席で新宿まで帰った。予定よりも早く帰れるのは気分の良いことだとつくづく思った。学生時代に最後の授業が突然休講になって早く帰れた時の気分だ。それって何年前だったかな???