冬の上海へ3(杭州へオプショナルツアーで)

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一昨日ホテルのツアーデスクでガイドとドライバーを予約していた。8時に旅行社のガイドKさんが迎えに来てくれた。彼は日本へ来たことはないそうだが、日本語も実にうまく日本のことも非常に良く知っていた。民間の外交官といったところだ。誠実な人柄でもあった。色々お世話になった。感謝だ。

上海の街中を過ぎると延々と建設中の高層住宅が続いていた。中国の元気を象徴しているような光景だった。この風景は上海に限らない。蘇州でも杭州でも北京でも同じだった。中国は農村では食べさせられないので、都市部へ大半の国民を住まわせなければならない。そのための限りない住宅や道路の建設なのだ。都市化に「職」が伴うかどうかが何よりも大問題なのだ。ガイドのKさんに中国では大学を卒業しても、6,70%位しか就職できない話をしたらそれは仕事を選んでいるからだとはき捨てるように言われた。彼は選ばないで日本人のガイドをしている。ニッチで結構良い職業選択だったのかも知れない。

上海はもっと暖かいと思っていたが結構寒い。杭州では最近雪が降ったそうだ。170~200kmの道のりを3時間ほどかけて来た。杭州の街中は非常に混んでいた。西湖は西にあるからかと思っていたが、春秋時代の傾城の美人「西施」にあやかっ「西子湖」と「漢詩で歌われたため」と今回初めて聞いた。杭州は呉越時代(893~978)や南宋時代(1127~1280)に都が置かれて繁栄した町だ。

杭州は皆からすばらしいところと聞いていたがそれ程でもない。蘇州に比べると大きな自然があり名所旧跡も大型だ。従って移動も大変でタクシーで移動という訳にはいかない。ガイド付きでアゴ脚付きだと自分で迷いながら歩くのとは印象の強さが格段に違う。いろいろ説明してくれるが直ぐに忘れてしまう。今回の杭州も印象の薄い旅になった。

蘇堤(詩人で役人でも会った蘇東波が作らせた堤防なので蘇堤と呼ばれている。彼の石像もあった。中国の観光客は団体が多く逸れても分かりように同じ赤い帽子などを被らされている。私の帽子も赤いので紛らわしい。)

船での観光が主体だ。沢山の船がある。自分が乗った船の中で写真を写した。団体が多く皆和気会い合いだ。手漕ぎの観光船も有った。風情はあるが船賃の駆け引きが大変そうだ。

西湖湖上の景色(石塔も見える。街が思ったより近くて大きすぎる。景勝地としては致命傷だ。)

湖岸の風情(これも素晴らしい)

平湖秋月(西湖に突き出した石舞台や八角堂から月を眺める。湖面に映った月と空の月とが照らしあう様を楽しんだそうだ。建物と景色が一体となった風情はなんとも言えず美しい。中国庭園の美の極致だ。)

橋も美しい。これらの橋は蓮や睡蓮を見るためのものだ。湖面には蓮や睡蓮が顔を見せているが冬なので枯れていたり、元気がない。オン・シーズンには素晴らしい景色になることだろうと思った。冬の西湖観光は失敗だった。

杭州は福井県と姉妹都市になっている。大きな石碑が公園の真ん中にあった。杭州出身の魯迅の仙台時代の藤野先生(同名の小説は有名だ)の故郷が福井だったからだ。地元同志はそのことを良く知っていて留学生交換や修学旅行で相互訪問したりして交流しているようだ。

他の地域には余り知らされていないそうだ。ガイドKさんが一寸悲しそうに話をしていたのが印象的だった。日本と仲の良いことは今の中国ではばつが悪いのかもしれない。日中交流の数千年に登る長い歴史から見れば今の政権などは100年も経っていない。日中は民間レベルではもっともっと仲良く出来ることを実感した。

最後の観光スポット「六和塔」北宋時代の970年に海水が高波となって押し寄せるのを鎮めるために作られたそうだ。高さ60mもあり、眺望も良いし、周りの景色も良い。お土産物やは極彩色だ。

お茶園観光を省略して早めに上海へ帰ることにした。4時にスタートしたが杭州市一帯は大渋滞で町を抜けるのに1時間ほど掛かった。空いていた高速を2時間ほど走って上海へ着いた。上海では多少の渋滞があったが、5時半にはホテルへ到着した。

夕食は旧フランス疎開の邸宅レストラン「ラ・ビラ・ルージュ」で食事をすることにした。私が中国語で予約の電話をすると相手の中国人は分かったようだったのに何故か英語の堪能なウェイターが電話口へ出てきてもう一度同じことを英語で言わされた。お洒落な建物で内装もまあまあだったが料理は今一だった。ビールとシャブリ、アルザスのワインをオーダーした。中国のお金持ちらしい人たちがBMW、ベンツやボルボなどで乗り付けて、皆ワインやビールなどを飲んでいた。大丈夫なのかな?割と近かったがタクシーで帰り、溜まっていたブログを書いた。