パムッカレからカッパドキアまで約800kmを走る日だ。国土は日本の2倍でやたら広い。
今日も朝が早い。5時半モーニングコール、6時朝食、7時出発だ。それでも食堂は満員だった。今日の目玉はヒエラポリス遺跡とパムッカレだ。ヒエラポリス遺跡の一部を通ってパムッカレ(綿の城の意。真っ白な石灰棚)へ行った。
世界遺産「ヒエラポリス遺跡」は広大な敷地に広がっている。今でも機械力でまたは人手で復元作業が盛んに行われていた。
石炭酸カルシュウム分を多く含んだ温泉水が斜面を落ちていく時に水中の酸素と結合し、凝結して白い棚を一面に形作ったものだ。巾約3km前後、高さ100m、奥行き300mに広がった真っ白い棚田のような斜面は不思議な景観を醸し出していた。裸足になってこの棚田を歩いた。すべりそうで結構滑らない。それでも結構急斜面が多いので要注意だ。水が流れており、黒くコケのついた部分はすべることが分かった。
次いで「パムッカレ・テレマル」(大理石の円柱などヒエラポリスの遺跡が横たわっている温泉プール)を見た。ロシア人が多いそうだが(トルコ人も白い人が多いので、どの人がロシア人でどの人がトルコ人か分からない)、沢山の人が泳いでいた。ここで泳いで水着のままでパムッカレの石灰石棚へ行くのが流行のようだ。ロシアでは日に焼けた人が金持ちと看做されるそうで、日焼けのために石灰石棚へ行っているのかも知れない。余り立派ではないが、休憩所も完備だ。
石灰石棚とパムッカレ・テレマル(ヒエラポリス遺跡温泉プール)の間に「ヒエラポリス博物館」があった。是非見たかったが月曜日で休館だった。外にも遺跡がはみ出していたので写した。なにしろここは遺跡だらけだ。
パムッカレからコンヤまでは地方道を走った。途中富士山に似た山があった。この辺の景色は雄大だ。
舗装の品質は良くないが殆ど信号が無く車も少ないので結構なスピードで走った。昼食はスルタンダーリという町のロードサイドレストランで取った。茄子で牛肉を包んで油で揚げた料理が出てきた。疲れているし、暑いし、脂っこくて半分以上の人が食べ残した。トルコ人に太った人の多い訳はこれだった。
キャラバンサライ(途中にあった隊商の宿。貴重なものを運ぶためまるで要塞の様な造りだ。ここまでしないと安心出来ないのだ。)
コンヤにやっと着いた。カッパドキアまでの半分弱の地点だ。整然とした街路が走り、至る所で建築ラッシュだった。郊外には大理石の石切り場があった。6車線の整然とした街路、緑濃い街路樹、T字型の何処までも続く街灯。大学もある立派な街だ。
ここでは踊る宗教の総本山「メヴラーナ博物館」を見学した。勿論イスラム教の一派だ。世界で2番目に大きいコーランやトルコ絨毯などが展示されていた。今でも信者にとっては博物館ではなく教会だ。マホメッドの髪の毛が入っているとされる箱の入ったガラス箱に多くに人たちがキスをしていた。
1923年のケマルパシャの改革で、宗教の各宗派は解散を余儀なくされ、博物館として生きる道を選んで、生き残ったのだ。我々異教徒の目には宗派の違いは全く見えなかった。
ここからカッパドキアまでは3時間半も時間がかかった。
遅くなったのでホテルへ行く前にベリーダンスのショウを見に行くことになった。客には日本人とイタリア人が多いようだった。余り面白くないショウだった。何となくジプシーの臭いがした。音楽も単調で面白くない。男の勇壮なコサックダンスみたいな踊り方がかえって良かった。
食事はやはり不味かった。パリのリドやムーランルージュなどでもショウの食事は不味い。景色の良いレストランも一般的に料理はまずい。いずれも料理だけで勝負しなくてもお客が入るからだ。
カッパドキアでは洞窟をくりぬいたホテル「CCR:Cappadokia Cave Resort」に泊った。これは一流のホテルだ。証拠にはパンとベーコンが美味しい。洞窟なので部屋の中に2箇所も段差があるのには、危険を感じた。ユニバーサルデザイン以外は素晴らしい部屋だった。遅くチェックインし、又朝は早いので、こんなに良いホテルでも余り意味がない。夜の写真が当日で昼の写真は翌日の朝に写したものだ。夜は三脚が無いので多少手ぶれした。朝には沢山の観光用の熱気球が上がっていたが、昼にはもう一個も上がっていなかった。