夏休み旅行でトルコへ2(トロイの遺跡)

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トルコ旅行の実質的な第1日だ。殺人的なアイテナリーだ。5時にモーニングコール、5:30荷物出し、6:05ホテル出発、7:00発のフェリーでバンデルマまで行った。ウィークエンドだったこともあり船はほぼ満席だった。皆早起きだ。船内を見渡すと同じトルコ人でも殆どヨーロッパの人たちと同じ顔立ちで真っ白な人とアジア系で黒い皮膚の人とが混在している。アジアとヨーロッパにまたがる国なので人種は多様だ。

乗っている車は殆どがドイツ製だった。ドイツとの特殊な関係を物語っているようだ。2時間ほどでバンデルマへ着いた。陸路では4,5時間かかるそうだ。ここから2時間半走って、トロイへ着いた。

途中で昼食を取ったレストラン。丘の中腹にあり、海を見渡せる眺望の良い立派なレストランだった。周りにバンガローやホテルがあり、宿泊客用の施設のようだ。立派なプールもあった。しかし料理は不味かった。果物だけが美味しい。ゴメンナサイ。

トロイはギリシャだとばかり思っていたが、何とトルコに有った。トレジャーハンターで実業家の山師ドイツ人「シュリーマン」が伝説を信じて大金をかけてトロイの財宝を掘り当てた。シュリーマンはギリシャ経由で財宝を全部ドイツへ持っていった。第2次世界大戦のドイツ敗戦で、財宝はソ連へ渡り、今でもプーシキン美術館に保管されているそうだ。

ドイツとアメリカはトルコの国家遺産を全て返還してくれたがロシアは今でも未だ返してくれないそうだ。相手の良心に期待しては駄目だと言うことのようだ。日本の北方4島も同じ運命にある。媚露派政治家はロシアに盛んに秋波を送るがそんなことで獲得した利得を手放すような国ではない。もっとしぶとい骨太の交渉が必要だ。

フランスもイギリスも他国から奪った世界的な遺産を返さない。ルーブルも大英博物館も盗品で溢れ返っているので返してしまえば「ただの箱」だ。コンコルド広場のオベリスクもナポレオンがエジプトから奪ったもので、返還を迫られているが、動じない。エジプトで大量の石油が出れば分からないが。

トロイの遺跡はBC3千年前から9世代にわたって蓄積されたもので、地震で崩れたり、征服されて破壊されたりしたものを、9世代にわたって再興したものだ。木馬は正確に再現したものだそうだが、どうも怪しい。想像の世界へそっとして置いた方が歴史のロマンに触れられる様な気がした。安っぽい形で目の前に観光用に存在するのは頂けない。

今又トルコが10世代の再興をしようとしている様だ。しかし眼に見える進展はしてないようだ。多分100年かかっても駄目だろう。トルコの時間はゆったり流れる。

それでも、再建された有名な「トロイの木馬」の写真を写して、次の宿泊地「アイワルク」へ急いだ。

アイワルクまでは3時間の行程だ。片側1車線などの道が多く、峠では、沢山のトラックが遅く走っており、追い越せないので30分くらい遅れた。バスの一番後ろの席で寝ていたが、道路の路面整備が悪くバウンドが多くて寝られなかった。エンジン音もうるさかった。「三菱ふそう」のバスだ。トルコで三菱のバスは結構多かった。圧倒的に多いのはベンツのバスだった。その他にやはりドイツのMAN社のバスも見かけた。

5時半前にアイワルクの美しい海岸沿いのホテル「ハリックパーク」に着いた。ここはエーゲ海と地中海が交じり合うポイントで、中級のホテルだが多分この地域一番のホテルだ。トルコのお金持ちが沢山来ている感じだった。ドイツからの車もあった。夕方から吹き出した強風が一晩中続いた。そういえば結構風車があった。これってシロッコ?

岬に立つホテルの夕景と夜・朝の対岸の景色

例によって食事は不味かった。トルコ料理が世界3大料理と言うのは、今では間違いか今や過去形の伝説(レジェント)だ。