熊本・長崎旅行1(熊本・天草)

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今日は6時に起きて、羽田から熊本空港へ来た。羽田のセキュリティチェックがもたもたしており、時間に間に合わない人が60人もおり、出発が30分遅れた。ポケットに入れている鍵などのセキュリティに掛かる持ち物をゲートへ入る前に予め入れて置くトレーが、ゲートの外に置いてない。荷物チェックのX線の直前で皆が色々出すので時間が異常にかかる。こんなことでは羽田の国際空港化はおぼつかない。役人がやると何でもこんな具合だ。出発が遅れたが、JALパイロットの頑張りのお陰で、15分遅れで熊本空港へ着けた。

空港から暫く普通道を行って高速に乗り、天草への道すがら、宇土半島へ行った。砂干潟を見た。ここは海が浅く養殖漁業をしているところが多い。映画「幻の邪馬台国」では夕日が凄くきれいだったが、昼間見ると海の色は真っ黒でむしろ汚い。

宇土マリーナ

巨大なコンクリート空間だ。こんな所で誰がこんなに立派なクルーザーなどを係留しているのか不思議に思えた。広場にはアメリカ人作成のモニュメントが沢山あり、予算は無限大にある前提で作られたみたいなところだ。道の駅もあるから、多分、国土交通省の予算だ。念入りにも、古代の船を再現した実物もある。これはもう、幾ら掛かったのは計り知れない。

バタ臭いところがあるなと思ったら、かって貿易で栄えた三角西港だった。往時を偲ぶ洋風の建物が沢山あった。巧まずして、面白いテーマパークになっている。こういう所へは金を使って欲しい。

天草の売りの一つ「天草五橋」(遠くから見れば美しいアーチの橋だが通っている分にはただの道路だ。)

かなり走って天草四郎公園にある天草四郎メモリアルホールを見に行った。「るるぶ」では素晴らしいスポットと紹介されていた。実際に来て見ると、まるでファッションホテルみたいなちんけな建物とミスボラシイ展示があるだけだった。料金を払わないで入れるぎりぎりの所まで行き、中の様子を見て、入るのを止めた。600円の入場料なのに何もない。

また暫く走って天草ビジターセンターへ寄った。これはまた立派なつくりで、正統派のお金の掛かった建物だ。帆船の模型や写真を展示した建物と物産販売・休憩所の2つの建屋がある。ビジターは我々だけだった。誰でも2度と来たいとは思わない魅力の全くない展示・コンテンツだ。あまり役に立たない代物だ。それでも、ここ唯一の男性職員に、島原島内観光の一押しスポットや車で走る秘訣などを聴いた。

港町にある崎津天主堂へ行った。道路に沿った駐車場は5台分のスペースしかなかった。既に、2台入っていたが直ぐにまた2台が来てたちまち満員になった。細い道を歩いて教会へ行ったら、10台以上の空きスペースがあった。教会は実に質素な建物だが品格がある。参会者の椅子を置いた床は畳だった。今でも大勢の信者が来ている息遣いを感じた。信心のない私だが、思わず知らず、帰りにドネーションした。

更に車を走らせて、大江天主堂へ行った。先に、天草ロザリオ館(キリスト教の歴史や隠れキリシタンの文物を展示)があったが、さらに上へ上へと上がって、大江天主堂へ行った。良く出来た格式の高い天主堂だ。中に入って拝観し、外でポンカンを買った。少し歩いてルルドのマリア像を見た。

ここは旧教の拠点だ。1587年にキリシタン禁教令が出てから、明治維新で禁制が解かれるまでの300年間に渡って、隠れキリシタンとして信仰を守った人々の歴史が刻まれた「天草ロザリオ館」も見た。

次いで、絶景ポイント「妙見浦」へ行くことにしている。暗くなるので、急いで走って行った。妙見浦は標識等がわかりづらかった。ビューポイントに駐車所場があったが、目の前が木の枝で風景が遮られていて、何も見えなかった。「観光立県」するのであれば、枝払いなどしてちゃんと見えるようにすべきだ。

「るるぶ」などの観光本で、これでもかと宣伝しながら、実際に行って見ると、ほとんど見えないのではまるで騙しだ。この様な見えないビューポイントは、他にも数箇所あった。この写真は急な坂を下まで降りて写したものだ。

道路や橋・トンネルの工事は至る所で、継続して行われている。交通量から見ても現状で十分と思われる箇所で、拡幅や曲がった道をトンネルで真っ直ぐにする工事などで、莫大な金を道路に費やしている。観光客の便利が大義名分だろうが、観光客のためには、先ず、ビューポイントを「見える化する」ことが必要だ。

アレグリアガーデンズ天草に泊まった。中々お洒落で気の利いたリゾートホテルだ。

別館に大展望温泉風呂があり、ホテルからはバスで送迎してくれる。ここでは宿泊者以外にも、地元の外来の人が沢山来ていた。会員になると毎日2百円で、2回入れば一回100円で入れる。学校行事の後の集会などもここで開かれる。地元から浮き上がる高級ホテルが多い中、このホテルは地元に根付くノウハウを身に付けているようだ。デフレの時代には、これが生き残りの条件だ。