鹿児島へ3(知覧・枕崎・開聞岳・池田湖・指宿)(再編集・掲載)

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今日は知覧へ行き武家屋敷と特攻平和会館を見て、枕崎経由で、開聞岳・池田湖(ネッシー)を見て長崎鼻(フラワーパークパーキングガーデン)更に指宿ロイヤルホテルへ行って宿泊だ。鹿児島から知覧までは結構遠かった。駐車場に車を止めて知覧武家屋敷公園を観て廻った。同じような様式の屋敷が多い。どれも皆立派で特に庭が美しい。手入れも行き届いている。案内の人の話では、駐車料金や公園の入場料から、庭園などのメンテナンス費用を捻出しているそうだ。実際に、今ここに住んでいる方も結構多い。掘割があり鯉が沢山飼われていた。

次いで近くの知覧特攻平和会館へ行った。かなり先から沿道に沢山の灯篭があり、それらは全部寄付による浄財で建てられたものだ。特攻で亡くなった人達への日本国民の思いが託された灯篭だ。特攻平和会館では語り部の方が熱弁をふるっていた。特攻隊員の親に宛てた最後の手紙や写真が沢山展示されていた。最年少は17歳だったそうだ。高校生の年齢だ。

知覧特攻平和会館には、同じく生きて帰れない特攻船も展示されていた。特攻機の残骸は見るに耐えない。広島・長崎と並んで、ここも修学旅行の必須拠点にした方が良い。子供達に歴史を深く考えるきっかけを与えるのだ。それが国の戦略であるべきだ。

過去の日本の指導者は、大変な罪を作っている。日本では、未だに戦争責任を追及する動きはない。特攻は無駄死にのケースが圧倒的に多かった。これを仕掛けた将軍や軍の首脳は地獄へ落とされてしかるべきなのだ。戦争責任者を日本人が裁く前にアメリカが「人類の名の下に」裁いてしまったので、日本人には、被害者意識と責任者への同情めいた感情だけが残った。日本はこの戦争を、自分の力で総括しないと、次の段階へ行けない。何時までたっても、アメリカの50番目の州みたいになっているのは、第2次世界大戦なかんづく太平洋戦争の評価が出来ていないから「国民の誇りも自覚もないままに」過ごしている。悲しいことだ。

結構長いこと走ってやっと枕崎へ着いた。漁港なので新鮮な魚を食べることにしていたが、市場の施設の食堂は値段が高く、隣りにあった漁業関係者の行く食堂は、2時までで終わっていた。他を探したが何もなかったので、コンビニでおにぎりを買って食べた。美味しかった。

更に走って、開聞岳からイッシーで有名な池田湖へ行った。水深が深いので怪獣がいるのではと思われたようだ。うなぎは結構大きかった。長崎鼻のフラワーパークガーデンへ寄った。熱帯の植物が咲き乱れており、大変楽しかった。この辺は指宿でも地形の関係で、1年中暖かいのだそうだ。カートに乗せてもらい、説明つきで、植物園をゆっくり一周した。知覧の特攻記念館を見て、すさんでいた気持ちが和らいだ。

岬の突端にある指宿ロイヤルホテルへ着いた。夕食前に砂風呂へ入りに行った。砂浜の下に温泉を通しているそうだ。熱い位に暖かく、砂は結構重かった。一度で十分だ。食事その他まあまあのホテルだった。岩崎ホテルを希望していたが取れなくてここになった。