ラストフライト九州2(熊本城~阿蘇~高千穂)

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今日は強行軍だ。7時半過ぎに起きて早めに朝食を済ませレンタカーを借り、新装成った熊本城を見学し近くの郷土工芸館へ歩いて行き、車で水前寺公園を見を廻って、阿蘇山まで行き、最後には高千穂で泊まる。

熊本城は慶長12年(1667年)加藤清正によって築城された。山形庄内への改易後細川家の居城となり明治維新まで続いた。西南戦争の折、明治10年に謎の火災で焼失した。昭和35年に天守閣が復元され、平成10年に始まった熊本城復元整備計画で、南大門が平成14年、本丸御殿大広間が平成20年の10月に完成したばかりだ。

天守閣と本丸御殿

本丸御殿を見た後、天守閣へも昇った。本丸御殿は建物は完成しているが壁画や襖絵が殆ど無く一寸寂しい御殿だった。いい加減な絵は描けないとのことで時代考証が出来た部分だけを再現しているそうだ。こんなやり方では全部が完成するのは何時になることやら心もとない。100年掛かっても難しいのではと思われる。その内痺れを切らせて適当な絵を書き入れることになるのだろうと思う。

本丸御殿の内部(絵の無い部分が寂しい)

続いて伝統工芸館へ歩いていった。もっと内容のあるものを期待したが何もなかったのでガッカリした。次は車で水前寺成趣園へ行った。回遊式の庭園で伝統的な様式美の世界はずだが、いつも見ている小石川後楽園の庭園基準から見ると庭のつくりが随分違っている。作庭者の美意識(あるいは能力)の違いでこんなにも庭園が変わってくるのかと思うと恐ろしいことだ。小石川後楽園が3大名園と呼ばれることが良く分かった。

庭園内には神社や能楽堂もある

次いで阿蘇へ向った。距離的にはそんなの遠くないが道が険しいので時間は結構掛かった。噴煙かと思ったがそれは野焼きの煙だった。道のすぐ近くで大きな炎が立ち上っている。危険を感じた。

野焼きの後はまるで水墨画の様に真っ黒だ。鋭角的な曲線が無いのでまるで迫力が無いが・・・

阿蘇は結構見て廻るところが多い。しかし何といっても圧巻は外輪山中岳火口の釜をのぞくことだ。が数日前の噴火で登山禁止になっており途中の駐車場までしか行けなかった。

樹齢400年のサクラの銘木「一心行の大桜」を見に行った。沢山の人が来ており駐車場も完備していたが肝心のサクラは未だ硬い蕾のままだった。他のサクラはみな咲いていたのでこのサクラは年取って直ぐには咲けないのかなと思った。

更に車で4kmほど走り「白川水源」へ行った。お水の神社があり、ペットボトルが売られており皆水をつめていた。自分でも飲んでみたがそんなに美味しいとは思われなかった。

ついで順不同になるが「草千里が浜」へ行った。未だ草が生えておらず野焼きの後の真っ黒な風景で草千里のイメージに全然合わなかった。車から写真を写すだけにして駐車場(有料)にもいれずに帰ってしまった。乗馬等に興ずる人も結構居た。一面が緑に覆われていたら感動的な風景になっていたことだろうと思うと一寸残念だった。観光は季節を選ぶべし。

道沿いの鳥飯屋さんで鳥飯と味噌汁を飲んで昼食とした。朝飯がバイキングで一寸たべすぎだったので軽めにした。ニューポイント「大観峰」は時間の関係で省略した。

一路高千穂へ車を飛ばした。景色の良い面白い道が続いた。今日の宿元国民宿舎「ホテル高千穂」へ夕方には着いた。満員でツインが取れずシングルルームを二つ予約して泊まった。

6時半から夕食で7時半過ぎ集合で「夜神楽」を見に行った。出し物は4番あってどれも余り面白くないものばかりだった。神代の昔から受け継いでいる郷土芸能だそうだがこの程度のものではこれから先継承して行く後継者を見つけることが難しいのではと心配した。

継承に値する内容かどうかも問われるが。古代のものをそのまま演ずるのではなくどこかで時代に合わせて洗練することも重要なのではと思った。能では江戸時代河竹黙阿弥が改革を行っている。1,000年も続けば古くなりすぎる。