今日はホテルから3ブロック半のところにある「ホアロー収容所」から見て回ることにした。疲れてきたのでタクシーで行った。今日のタクシーは正直タクシーだ。おつりの1000ドンをくれないかと遠慮がちに言ったのであげることにした。ホアロー収容所はフランス統治下で政治犯などを収容し拷問して転向させることを目的に作られたフランス植民地支配の暗黒部分だ。この収容所から穴を掘って逃げた人や土管を伝わって逃げた人のことも顕彰されていた。
逃げられないようにガラス破片を埋め込んだ天井や手かせ足かせをはめられた政治犯
マリーアントワネットもお世話になったひフランスの偉大な発明ギロチンも展示されていた。女性と牛も沢山殺されていた。最後にレジスタンスヒーローの顕彰碑。フランスは高邁な理論を展開する一方苛斂誅求も人殺しも得意技のようだ。植民地支配では何処もそうなる。
オペラ座(ハノイで一番立派な地区だ。隣にはヒルトンホテル)
次に歩いてオペラ座先の「歴史博物館」へ行った。この博物館はベトナム歴史を見える化した貴重な博物館だ。フランス支配の近代に至るまで1,000年間続いた中国文化の支配が色濃く反映されており中国の歴史館と言っても良い位に「中国色」一色だった。これを見てベトナム人はどう自国のアイデンティティーを取るのかと不思議になった。独自文化が殆どない。圧倒的な中国文化に近すぎることの悲劇だ。気の毒でもある。
中央郵便局近くのレストラン「タラ」で昼食を食べた。別の店を探していたがこの店にたどり着いた。元々候補の店の一つなのでここにした。バイキング・ビュッフェをしていたが遅くなり大分品数も少なくなっていたのでアラカルトにした。結構美味しい店だ。欧米人が多く日本人は極く数人だった。良い店の証だ。
ここまでは良かった。ホアンキエム湖を回って旧市街へ向った。変な奴がつけてきているのは分かっていたが下手に振り向くと色んなものを売りつけられたり五月蝿いので知らんフリをしていた。次のマーマイの家へ着いて妻がカメラをホアンキエム湖のベンチに置き忘れてきたと泣きべそをかき始めた。もし忘れて来たにしても誰かが持って行ってしまうに違いないし多分取られたんだと説得して取りの戻るのを諦めさせた。後からついて来た奴がいつでも取りやすくするために紐をたらしていたデジカメをた易く引き抜いて行ったに違いなかった。それまで撮りためてたコンテンツが一瞬にして消えた。暫く妻は放心状態だった。ベトナム人を甘く見すぎたようだ。
マーマイの家(公開されている中流の家庭。調度品などはやはり中国風だ)
昼食後は旧市街へ行った。手芸品街、金具街、薬品街、食品街などの専門店街が軒を連ねている。道も狭くバイクが一杯で電話線は垂れ下がっている一寸旧く汚い街だ。その中に外国人オーナーのブランドショップが異彩を放って点在している。
歩道と言わず車道もバイクで占領されており人の歩くところはない。車道に出ればバイクに跳ねられる。たまに空いている歩道があれば皆で集まって食事をしたりお茶を飲んだりしている。この国では「歩道」は人の歩くところではないようだ。
歩いてハノイ大学病院を経由してハンザ市場を覗いて帰る心算だったが、丁度建て替え中だった。ホアンキエム湖畔のアウトドアレストランでカフェーする予定だったが、これも風が寒くトイレもなかったので高級デパートまで歩きそこでマンゴージュースを飲みスウィーツを食べてホテルへ帰った。
夕食はホテルから2ブロック半のところにある「ワイルドライス」に行った。小奇麗でお洒落な店だ。お客全員が欧米人だった。かなりフォーマルな服装の人とカジュアルな人が混じっていた。ベトナム料理だが美味しかった。食べ切れなかったのでドギーバックに入れてもらいホテルに帰ってナイトキャップと共に酒の肴にして食べた。今日の夕食は勝ちだ。デジカメ盗難で落ち込んだ妻も元気を幾分取り戻した。
明日は早起きして世界自然遺産「ハロン湾」ツアーだ。日本でオプショナルツアーで申し込むと1万円2,000円以上だが現地のホテルで申し込んだら英語説明だが昼食付きで35ドルだった。明日はどんな人と一緒になるのか楽しみだ。