今日はハノイ観光の実質的な第1日目だ。今日一日でハノイ観光のメインストリームは回ってしまう予定だ。ホーチミン廟、文廟(孔子を祀ったもの)、旧市街、ホアンキエム湖、玉山詞、水上人形劇、大教会(ノートルダム寺院)など例によって盛り沢山の強行軍だ。
ホーチミン廟はハノイの中央やや西北の位置にあり、物々しい雰囲気の中にあった。最初に荷物を預けさせられて、次に別のところでカメラも預けさせられた。2,30mおきに2,3人の警察官が立っており通路以外は殆どが立ち入り禁止で列から離れないように監視していた。一寸の時間立ち止まらせて10人位の隊列に整えてからまた先へ進ませる。結構沢山の人が来ていた。ここは共産主義の正統性をホーチミンを使って民衆に教育するための場なのだ。屋外にフラットパネルまで展示していた。共産党の正義・正当性を知らしめるためにはコストは問題ではない。
ホーチミンの安置されている部屋は暗くなっており部分照明で顔のあたりが明るくなっていた。遺体は10人ほどの軍隊に守られており勿論写真などは禁止で立ち止まることも私語も許されていなかった。本物の遺体なのか蝋人形なのか良く分からなかった。こんなことを考えただけでもベトナムでは不敬罪になるのではと思ったりした。
ホーチミン廟見学の後でホーチミン博物館、迎賓館(外観のみ見学)、ホーチミンの住んでいた家などを見学した。質素なものだったが大切にされていると思った。
迎賓館(普段は共産党の幹部が使っているようだ)
ガーデンエリア
ホーチミンの家(私邸)レプリカと思われる。
ホーチミンの家(公邸)私邸との格差が大きい。逆宣伝になるのではと心配したくらいに豪華だ。
ホーチミン廟と文廟の間にある街路樹。フランス支配100年の成果だ。実に見事だが排気ガスで先が良く見えない。
露店(物販が多いが、文字を書く店筆耕や文廟の塀にチャッカリ鏡を取り付けた理髪店まである。)
この後に迷いながら警官に何度も道を聞いてやっと文廟(孔子を祀ったもの)へたどり着いた。中国風の立派な廟で道教の寺院といった趣だった。多くの人たちが祈りをささげていた。全てが中国式で書かれている文字の大半が漢字だった。中国1,000年支配の遺産だ。建物も全部中国道教寺院風だ。歴史博物館ほどではないが中国の影響はすさまじい。果物と野菜で龍の彫り物を作ってパーティの準備中だった。これも中国風。
文廟の庭園。やはり中国式と洋風のミックスだ。ロータスはベトナムの国花。
文廟の次にはチャーカー通のチャーカーラボンへ昼食に行くことにしていた。文廟前に止まっていた立派な車(多分ハリヤー)のタクシーに乗った。この車はやたらメーターの上がりが早い。朝ホテルからホーチミン廟へ来た距離の半分くらいの距離なのに2倍の料金になっていた。高すぎると抗議したがメーター通りだと主張して譲らなかった。
正しいタクシーはメーターが透明なプラスチックボックスに入っているそうだ。これは入っていない。改造していることは明らかだったが警察へ行っても多分仲間で取り合ってもらえないだろうと思い癪に障ったが払った。通常のタクシーはもっともっとシャビーな車が大半だ。こんなに立派な車では元が取れないからだ。メーターチェックを怠ったことと立派な車に乗ったことが敗因だ。魚と野菜をいためた単純なチャーカー料理はとても美味しかった。ご飯も美味しかった。奥で女主人が札束を勘定していた。
食後に近くのホアンキエム湖へ歩いていき中島に有る玉山詞へ参った。
ホアンキエム湖の北東部(ハノイ中心にあり市民憩いの場所だ)
中島の玉山詞(結構人が来る。他に楽しみがない?)
今日は日曜なので運よく3時半から水上人形劇が見られた。龍や鳳凰の人形がきらきらして美しかった。楽師と劇及び大団円での遠隔操作する劇員たち
4時半に終わったので歩いて大教会(ノートルダム寺院)へいった。丁度礼拝の時間で教会の正面の扉が開き始め内部を見ることが出来た。さすがカソリックのフランスが作っただけあって内部の伽藍は立派だった。教会の近くのカフェ「ラ・プラース」でスウィーツを食しカモミールティを飲んでホテルへ帰った。
夕食にはまたオペラ座まで繰り出した。オペラ座近くの「クラブオペラ」で食事にした。何故かお客は全部が欧米人で特にアメリカ人が多かった。日本人は一人もいなかった。不思議だ。今回の旅行では不思議と日本人に会わない。ベトナム航空の955便には結構日本人が乗っていたので何処へ消えてしまったのか心配な位だ。