亡国のイージスを観て考えた

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 ブログ記入はまだ慣れていないのでで緊張している。何を書いたらよいのかわからないので、最近(実は昨日)観た映画について感想を書きたい。

「亡国のイージス」を観て考えたこと。http://aegis.goo.ne.jp/

 「亡国のイージス」という題のミリタリー映画で日本人の危機管理の甘さについて訴えている映画であった。 イージス艦が北朝鮮の者と思われる海上自衛官を装った一味に乗っ取られ、東京に向けて原爆搭載のミサイルをロックオンされて脅される話である。 この緊急事態の招集された総理大臣は「選挙区へ帰らねばならないので早く済まして欲しい」等と寝言を言っている始末だ。  現場での対応も一瞬遅く大半のドッグファイト場面で甘さが出て自衛官はテロリストに殺されてしまう。 ピストルのトリガーを引くタイミングが遅いのである。又は相手を信用して疑ってかからないので易々と殺されてしまう。

 農耕民族の自衛官と狩猟民族のテロリストでは所詮叶わないのではと思わされた。

 総理大臣も最後には腹をくくって航空自衛隊での撃沈を指令するが最初の人とは思われないくらいに毅然とした態度であった。状況が瞬時にして人を作ったのである。

 平和ボケの日本で何をしなければならないかを暗示している貴重な擬似体験である。

 映画の最初に出てくるコメント「守るほどの価値もない日本」は大変気になった。確かにいろいろの問題があり価値のない国に成り下がっているようにも思える。

しかし考えてみればもっともっと問題が多い国は世界的に見れば山ほど有り平和指向の穏健な仏教国かつ多神教の日本は世界においてキリスト教徒とイスラム教徒との一神教同士のエンドレスな戦い=殺し合いに対して平和:共存について何らかの貢献ができるのではないかと思われる。

 狩猟民族同士の殺し合いに付いても農耕民族で温和な日本人は力と自信を持てば一定以上の貢献ができる。

 自分を信じ、民族を信じて世界に存在感のある国にすることの大切さをこの映画は教えている。第二次世界大戦の廃墟からココまで立ち上がった「日本」はそれ自体が既に「世界の驚異」であり、尊敬おくあたわざる存在として見ている人も沢山いるはずである。

 戦後の自虐的な反戦・反省教育が誇りのない日本人を大量に排出して今日の情けない国にしている。

 誇りを取り戻そうとする試みである「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が採用されたのが杉並区と大田原市だけであるのは極めて残念である。

 日本の再生は若者から教育からである。