歌舞伎座120年の秀山祭九月大歌舞伎を観た

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妻の友人からのご案内で初めて歌舞伎座で歌舞伎を見ることになった。秀山祭九月大歌舞伎の夜の部の出し物は

一.近江源氏先陣館(盛綱陣屋)

二.鳥羽絵(清元連中)

三.河内山(天衣紛上野初花)の3本だった。

夜の部は、初代吉右衛門にゆかりの深い時代物『近江源氏先陣館』の「盛綱陣屋」で開幕した。さらには軽快でリズミカルな舞踊劇『鳥羽絵』があり、やはり初代吉右衛門が得意とした河竹黙阿弥作の世話物『河内山』が上演された。

一.近江源氏先陣館(盛綱陣屋)

兄弟が敵味方に別れて戦うこととなった佐々木盛綱(吉右衛門)は、我が子小三郎(玉太郎)と共に出陣し、弟高綱の子小四郎(宜生)を生け捕りにしてしまう。陣屋へ敵方の和田兵衛(左團次)が使として現れ、小四郎を返してくれと訴える。盛綱は母の微妙(芝翫)に、弟高綱を迷わせないために、小四郎に切腹を勧めて欲しいと頼み、微妙はこれに応じる。小四郎は切腹しようとするが、忍んで来ていた母の声を聞き命が惜しいと訴える。陣屋の夜廻りをする盛綱の妻早瀬(玉三郎)は、小四郎に会いに来た篝火(福助)を見つけ、篝火の振る舞いを窘める。ここで高綱が出陣して討死したと伝えられる。

 間もなく盛綱の陣屋へ北條時政(歌六)が入来し、盛綱に弟高綱の首実検役を命じる。盛綱が高綱の首を取り出すと、小四郎は自らの腹に刀を突き立てる。この様子を見た盛綱は、じっと考え込み…。弟および小四郎の意図を読み取り、死を覚悟の上で他人の首を高綱に間違いないと断言する。 初代吉右衛門が得意とした時代物の名作が豪華配役で上演され、話題の一幕となっている。端役で出ていたがやはり玉三郎の美しさは抜群だった。全体に衣装も豪華できれいで楽しめた。

二.鳥羽絵(清元連中)

下男の升六(富十郎)が、台所で暴れるねずみ(鷹之資)を捕らえ、すりこ木で打とうとするが、すりこ木に羽が生えて飛んでいってしまう。その隙にねずみは逃げ出し、逆に升六をかき口説き始める。といった筋立てで、 今年の干支に因む清元の名作舞踊を富十郎・鷹之資の親子共演がお楽みといったところである。あまり面白くなかった。幕間の狂言といった感じだ。

三、天衣紛上野初花 河内山(こうちやま)(あらすじ)

 御数奇屋坊主の河内山宗俊(吉右衛門)は、和泉屋清兵衛(歌六)と上州屋の後家おまき(吉之丞)に頼まれ、松江家に腰元奉公するおまきの娘を救いに向かう。 松江家の当主である松江出雲守(染五郎)は、おまきの娘浪路(芝雀)に執心し、妾になれと迫っている。近習の宮崎数馬(錦之助)はこれを諌めるが、北村大膳(由次郎)に浪路と密通していると讒言されてしまう。怒る出雲守は数馬を手討ちにしようとするが、家老の高木小左衛門(左團次)が押し止める。

そこへ突然寛永寺の法親王の使僧が入来する。この使僧が河内山で、浪路を帰すことを渋る出雲守を窘め、今回の一件が法親王から幕閣へと伝えられたら、松江家はお取り潰しになると脅す。さすがの出雲守もこの言葉を聞いて、浪路を帰すことをしぶしぶ了承する。役目を果たした河内山は、屋敷を後にしようとするが…ここへ河内山顔見知りの武士が現れ偽物であることを暴きたてる。これから先の河内山の啖呵が見せ場の一つとなっている。これも初代吉右衛門が得意とした世話物の代表作だ。どうってことのない内容と演技だが結構受けていた。

歌舞伎では、悲しい場面では武士の家庭であるにもかかわらず、本人同士でおいおいと泣きじゃくってしまう。武士の家庭とは思えない建前ややせ我慢のない世界だ。多分江戸時代でも武士はこの様な演芸は見なかったものと思われる。泣きたい時に泣いて笑いたい時に笑うのは庶民だけだ。落語でいくらおかしい話でも落語家が笑ってしまうと周りは白ける。悲劇でも本人が泣きじゃくっていては悲劇性が薄れる。悲しさを内に秘めて堪えに堪えている姿こそが見る人の心を打つのだと思う。藤沢周平の時代劇にはそのような内面性があり心ある人の心を打つ。

歌舞伎の顧客の中心になった庶民にはそのような感受性がなく、またはその様に思いこんで作者が歌舞伎台本を作ったものと思われる。歌舞伎役者にはそんなに演技力は必要ないみたいだ。微妙な場面は皆長唄や小唄、音曲で補ってくれる。