昔台湾で起こった「霧社事件」を漫画で読んだ

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自虐史観への反発から従来「日本は正しかった調」の歴史書ばかりを読んで来た。どうもそれだけではないらしいことに今頃気がつき、最近は真実・事実に基づいた歴史書を意識的に読もうとしている。その第一弾が中国語の勉強で通っている日中友好協会の図書館にあった漫画「霧社事件」だった。

非力な台湾の先住民族(タイヤル族)が横暴を極め・苛斂誅求に耐えかねて起こした暴動とされていた。しかし頭目のモーナ・ルーダオを初めとするごく少数の者が、個人的な恨みを晴らす為に他の部族に働きかけて、先住民達の「おきて」に従い、暴動を起こし復讐したとの説もある。その説によれば小学校の運動会を襲い無抵抗の子供や女性を含む多数の日本人を殺害して首狩りをした暴徒を、反日の英雄に仕立てて日本の植民地支配に霧社の抗日烈士が抵抗した、という筋書きに歴史をねつ造し、個人的恨による犯行を(植民地支配に対する)公憤にすり替えた国民党政府によるデマゴーグだとするものである。

国民党政府は日本統治時代に建てられた「霧社事件殉職、殉難者之墓」を破壊して廃墟にし、代わりに「霧社山胞抗日記念碑」を建てている。国民党政府は日本人による台湾統治の痕跡を一掃するために、日本人墓地の打ち壊し、日本人が建てた台湾にある記念碑、墓碑、銅像も全て破壊し尽くした。霧社に日本人が植えた桜の木を全て伐採し、代わりに梅の木を植樹したそうだ。

1895年(明治28年)の日清講和条約で台湾を割譲された日本は台湾の植民地支配を着々と進めていた。中部山岳地帯の霧社では森林資源を求めて、山地は官有林として没収され、原住民は狩猟・耕作を禁止され武器は没収され移動の自由もなかった。違反者は厳罰に処せられた。その上に1930年(昭和5年)には建設や材木の切り出しのために強制労働が科せられ不満は頂点に達していた。実際には刺青その他の原住民の風習を無視した統治に不満があったようだ。過去にも1920年(大正9年)、1925年(大正14年)に暴動が起きている。1930年(昭和5年)10月27日日本人小学校の運動会で日本人136名が殺害され、その後戦争状態となり、原住民はゲリラ戦に出て壮絶な戦いが展開された。この平定に約1年を要している。この事件で抗日した山地人は1,236人から200人足らずとなりほとんど一族が滅亡した。

比較的平和裏に行われていたと思っていた台湾の統治でさえも、日本政府の統計でも台湾支配が確立するまでの8年間に3万2千人もの人が殺されたという。300人の山岳民族の反乱に対して4,000人の兵力を投入し近代兵器や毒ガスまでも動員してゲリラと戦った姿はベトナムのアメリカ軍を彷彿とさせる。植民地支配の非人間性がこれでもわかる。(もっとも台湾へ逃れてきた国民党政府も統治に不都合な台湾のインテリ階級3万人を行方不明にしたそうだが)。歴史にはその時点での支配者に都合の良い捏造が当たり前なので真実を見るのは極めて難しい。

この漫画は台湾人の邱若龍氏が作画共に行っており、民族感情が入っているのか日本人は醜く、先住民は体格がよく勇猛に描かれている。一寸気になったがこの位は仕方ないのだろうと思った。(漫画「日露戦争物語」では清国軍の将軍や兵隊が残虐で醜い顔で描かれている。あいこか?)この本が最初に日本で出版されたことは日本人が寛容なのか忘れっぽいのか馬鹿なのか良く分からなくなった。多分馬鹿で忘れるから寛容なのだろう。歴史の真実を検証してから出版すべきだ。こんなことで世界や外国人から馬鹿にされるのは何としても避けたいが・・・