「ボーン・シリーズ」は欠かさず観ている。今日は午前中に渋谷でJASIPAのPR委員会が開かれ、午後にちょっぴり時間が出来たので、「ボーン・シリーズ」最終版「最後通牒」を観た。デビット・ウェブは72時間眠らせない状態に置かれ“決断”して、自分であることを止めて(死んで)、殺人者「ジェイソン・ボーン」になった。実は愛国の情から自ら志願して殺人者になったようにイニシエーションさせられていたのだ。公式ホームページ
日本でも江戸時代に忍者が「草忍」となってよその国へ行く時には、いったん死者として葬られてから別人になって赴任した。面白い符合だ。この映画は実に良く走る。それもロシア、ロンドン、マドリッド、モロッコ、ニューヨーク世界を股にかけてだ。スパイは足が速くないと駄目だ。奥の細道を書いた芭蕉はその足取りの速さから忍者だったのではないかと疑われている。
徳川300年を支えた忍者による情報(諜報)組織が生き写しで自由の国「新世界アメリカ」で受け継がれている。しかも200年にも亘り、今だに、生き残っているのは驚嘆に値する。
日本も明治時代の「日露戦争」では明石大佐による諜報活動や金子堅太郎のアメリカの取り込み作戦活動は有名だ。筋肉派の陸軍が台頭するにつれて情報よりも「根性」や「やる気」が大事にされ、結果アメリカに負けてしまった。どの道、レーダーもなく、暗号も解読されていた日本軍が太平洋で勝つことは困難だったには違いない。
韓国にはKCIAなどがあったが日本には戦中のスパイ組織「児玉機関」とか細菌戦の石井部隊や憲兵隊に対する嫌悪感から本格的な諜報組織が作られていない。内閣情報調査室があるがその元室長が北朝鮮との不正なやり取りで捕まったりしている。これでは何時までたっても諜報組織は国民に認知されない。
この様な機関には影が付きまとう。とっさの場合の生殺与奪の判断は現場の人間に任せざるを得ないからだ。現場が肥大して「ボーン・シリーズ」は出来た。なくて済めばそれにこしたことはないが日本の外交の現状を見れば外交官がその様なファンクションを担えるとはとても思えない。これでは日本は小金は持っても、何時までも「世界の窓際」で我慢するしかない。