突然何の前触れもなく一国の総理大臣が辞めた。病気以外では説明が付かない。本当の意味での選挙の洗礼も受けず大した競争もなく大臣になり幹事長になり総理大臣にまでなってしまった人だ。
アメリカでは「いきなり3塁へ進んでしまった人」と言われているそうだ。無競争で来たので「個体能力」では精神的にも肉体的にも脆弱で競争力がないのかも知れない。サミットなど首脳外交の多い昨今ではとても危険な人を国家の代表に据えていたことになる。改めて国のリスク管理能力も問われてしまう事態だ。
しかしよく考えるとこの国では政治家へのエントリーの道が狭められていて優秀な人が入れない仕組みになっている。そればかりか参政権でも投票率が低い方が自民・公明の連立与党にとって有利な状況になっている。自民・公明支持者は病気でも投票所へやって来るor連れて来られてしまう。無党派層は概して反「自・公」であり、出来れば棄権してほしいのだ。投票は国民の権利でもあるし義務でもあるのだ。棄権者からは罰金を取ったほうが良い。
一般に言って公務員特に上級公務員は完全な競争試験の結果で選ばれる。ところが保守党の政治家の大半は門地で決まり、親の地盤・看板・かばんを引き継いで労せずして代議士になれる。政治家の全般的な能力の低下はそれと無関係ではない。
上級公務員試験を優秀な成績で通過して財務省なり、経済産業省に入り更に功なり名を遂げて上級幹部になっても形の上では「政治主導が民主主義の建前」であることから表立って高級官僚が政治家の上に立つことは出来ない。その能力や識見がいかに優れていても駄目だ。能力のない2,3世議員の成り上がった大臣にお仕えすることになる。多くは「馬鹿殿」に仕えなければならないのだ。このような状況を長くやっていると国家観がズレてくる。国家=大臣=2,3世政治家となれば国家に奉仕することはすなわち2,3世政治家に奉仕することになってしまう。モラールの維持もミッションの長続きもしないレジュームだ。これが「美しい国」なのかどうか?
私の友人にも大学時代には「国家公務員としてお国のお役に立ちたい」と言っているのが何人かいた。いつの間にかそのような心境からは程遠い役人に成り下がったように見える。その内の何人かは政治家を目指していたようだ。しかし公務員で功績を挙げて(事務次官になって)から政治の世界へ入っても既に遅い。2,3世議員はそれまでに既に数回の当選を果たしており、公務員OBが運よく議員になれても国会では新人として一番前の列に座らなければならない。大臣などは夢のまた夢だ。8回当選組みなどが大臣を渇望して順番待ちをしており、「政策通」などは歯牙にもかけない。今の日本の政治では大臣は放言や政治資金で所轄官庁の邪魔をしなければそれで十分なのだ。
総理大臣になるには40代で大臣になることが必須条件とされている。公務員では特急でも課長か次長の段階だ。そこで最近では40代で民主党などから選挙に打って出る上級公務員が増えた。
2,3世議員は小選挙区制になって極めて有利になったと言われている。中選挙区制では同じ選挙区に自民からの対立候補が立てられ実力がなければやがて排除されてしまう。小選挙区では自民党は自分だけだ。政治資金に問題があろうとスキャンダルが起きようと安泰だ。それで2,3世議員が国民・選挙人を甘く見ることになる。
しかも彼らは選挙区から離れて東京生まれの東京育ちで教育も麻布から慶応など全部東京の学校で受けている。「地方区選出」といっても地方には形だけ家があるか選挙事務所があるだけだ。これで地方の民意がわかるのかはなはだ疑問だ。もっぱらパリに住んでいたフランス封建時代の貴族と同じだ。本人もその辺は理解しており、そのようなコンプレックスから地方に過剰に利益誘導をしたりする。地元が本音では欲しがっていない高速道路を作るなどだ。
松下政経塾もすばらしい政治家のインキュベータだった。中田横浜市長などの多くの青年政治化を輩出した。しかし個人の善意に頼るのでは限界がある。定数是正さえ出来ない今の自民党に出来るとは思わないが議員選出の仕組みを変えなければならない。地方区の候補はその地区の出身でそこで教育を受けた人に限るとか、衆議院にも全国区を作るなどだ。
早く真剣に政治の仕組み改革をやらないと無駄使いで国が滅ぼされる。自民党は若く能力のある官僚をまだスポイルされる前に取り込む仕組み作りを急ぐべきだ。すでに民主党がやっているから自民がやらなくてもいいが。
「2世3世の議員の跋扈が国を滅ぼす」が私の持論だが今回は残念ながら安倍さんがその一端をはしなくも証明した。彼は「2世議員」でありかつ「3世議員」でもある。次の総裁候補の顔ぶれも同じように「2世議員」「3世議員」のオンパレードだ。