東洋経済の特集(7月28日号)を読んだ。大作で読むのに時間がかかった。
イギリスにおける改革と日本のそれと比較した面白い記事だ。2006年イギリスは一人当たりGDPで日本を抜いた。1993年には日本の一人当たりGDPは世界のトップに君臨し、イギリスは半分以下だった。なぜこのような差がついたのかをイギリスに焦点を当てて検証している。
1980年サッチャーが政権についてから2007年にブレアが終わるまでイギリスは保守から確信への政権交代はあったものの改革に明け暮れた。その間日本は鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、細川護熙、羽田牧、村山富一、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三と14人も首相が代わった。中曽根内閣と小泉内閣を除けば何れも短命で小粒な内閣だ。自身の延命で精一杯だったと思われる。国家理念も何もない。いわば「政治の迷走」だ。この間にバブルを招来させ、はじかれてその後の10年間もの長きにわたって「無為無策」従来型の財政政策で借金を史上最高レベルまで積み上げた。日本の一人当たりGDPも世界で14位まで下がった。
一方イギリスではサッチャーからブレアまで27年間改革に明け暮れた。サッチャーが荒っぽい外科手術で国営企業の民営化、金融ビッグバンなどをやり遂げた。荒療治の結果起こった貧富の差の拡大、教育の荒廃や医療現場の崩壊に対してトニー・ブレアが手を打った。日本との共通問題も多いのでイギリスで行った改革を労働・教育・医療・金融について見てみよう。
1.労働
ブレアの労働政策は一言で言えば「ウェルフェア・トウ・ワーク(福祉から雇用へ)」だ。サッチャー改革で膨らんだ失業率はブレアが政権に就いた1997年には7.2%だった。10年間で5.5%まで低下させた。最盛時の半分。金融の成功で外為の世界シェアは32.4%にもなり、国家収入の20%、雇用も20%を占めるに至っている。過去に25%を占めた製造業は10%に低下した。移民も積極的に受け入れ建設業や農業などイギリス人がつきたがらない職業で成果を挙げている。しかし未だかって製造業にいた人や若年でスキルがないために就労できない人などが予定通りへっていない問題を抱えている。
2.教育
トニー・ブレア政権の最優先事項「1に教育、2に教育、3にも教育」。多くの政策はサッチャー改革の継承だ。学校選択制や教師の成果主義導入など競争原理の導入だ。ブレア政権で際立ったのは教育予算を従来の3倍にしたことだ。その中で基礎教育の充実と高等教育の機会均等だ。初等教育で重視して成果を挙げたのはいわゆる「読み・書き・そろばん」だ。英国では「リテラシー・ニューメラシー・アワー」と呼ぶ。大学改革では授業料を一気に1200ポンドから3000ポンドへ引き上げた。豊かな学生の負担を強化してその分で貧しく優秀な学生に奨学金を出した。一見理解できないようなしかし実のある政策セットを実行している。
3.医療
サッチャー改革の医療費抑制でイギリスの医療は「第3世界並み」と揶揄されるほどに荒廃した。家庭医にかかってから専門医に診て貰うまでの待ち時間が18週間以上に半数がなっていた。ブレア政権が行ったのは病院の評価と医療支出の大幅増大による医療スタッフの大幅増員だった。この結果待ち時間はかなり短縮されようだ。問題は全体の22%の病院が赤字であることだ。医療改革は難しい。
4.金融
ユーロ不参加でシティは孤立してパリかフランクフルトが欧州の金融センターになるのではといわれていた。ところが今や世界最大の金属取引市場(世界シェア95%)ユーロ債(70%)、店頭取引デリバティブ(36%)、保険(22%)など圧倒的な存在感だ。テニスのウィンブルドンのように投資家に出身地を問わない対等な競争条件を提供している。サッチャーによる「金融のビッグバン」それを継承してブレアが発展させた。イングランド銀行に政府支配から独立して金利を設定できる権限を与え、金融サービス機構に監督機能を統合することによって更なる発展をとげている。
階級社会といわれるイギリスで出身階層も決して高くないサッチャーが女性で首相になれ、ブレアが若くして首相になれるのは不思議なことだ。政治のシステムが多分日本とは大幅に違うのだと思われる。
日本では優秀な人が政治に入ることは稀でありもし入っても上級のポストにつくことは至難の業だ。入り口でつまずく。2世3世の議員が地盤・看板・かばんを持って立ちはだかるからだ。総理大臣もいきなり3塁へ進み、アウトの審判が国民から下っても累上に居座っている。日本は何をしても政治を正さなければだめだ。世界に通用しないローカル・ルールで政治を行っている。