格差問題と2,3世議員について

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日経新聞の囲み評論「大機小機」をいつも見ている。経済を中心とする時局の話題について適切な解説と見識のある意見でとても参考になる。「今日は格差の不満を鎮める能力主義」のテーマで格差問題に対する解説と意見が載っていた。格差には2つの不満がある。

1.上向きの視線

仕事の能力で自分と大差ないと思っている人がより高い評価を受けたとき。もっと具体的に言えば大した能力もないのに時の運や親からの遺産、学閥などのコネクションで裕福な生活を送っているものに対する不満である。

2.下向きの視線

自分より劣っている人が例え低い評価をされていようが自分より苦労のない生活をしているように見えるとき。つまり努力もせずにそれなりの収入を得たり、働きもせずに自分達が払った税金で生活していたりするものに対する不満。

今、格差への不満が広がっている。通常格差と言う場合には経済的な格差に目が行きがちだ。余り誰も言わないが一番おかしいのは自民党議員の大半が2世3世の議員で占められていることだ。この政治的な格差は大きく深刻だ。日本を根っこから腐らせてしまう危険性をはらんでいる。「機会均等」を担保して優秀な人が政治の世界へ若くして入れる仕組みを構築することが重要だ。

例外はあるだろうが、能力はお粗末の極みだ。自分の選挙地盤に帰れば偉そうに大言壮語し、後で中央に帰ってから平謝りを繰り返している。某防衛大臣の発言にはちゃんと根回しや裏を取って「この位の発言が出来るようになれば日本の政治家も大変なものだ」と妙に感心した。しかしやはり、これも裏ずけのない失言で後で平謝りを繰り返していた。アメリカとの防衛協議では会ってももらえなくなったそうだ。もう大臣の職責は果たせない。単なるお飾りだ。元々お飾りでも気にもならないのか、平気な顔をして歩いている。

「閉塞感」から日本が駄目になっていると言われている。親には希望も自信も誇りもなく、子供をまともには育てられない。子供は目標もなく何をしたら良いのか分からないのでいじめを繰り返す。

政治に興味を持てないのも議員が自分達とは関係ない世界にいて、政治屋の親が弱れば息子が突然何処からか現れて議員になってしまう仕組みに問題がある。2世3世議員データバンク

私の生まれ育ったI県では保守系議員の全部が2,3世議員だ。東京で生まれて東京で育った議員には選挙区に対する「地元愛」はない。選挙民の愛もお金で買うしかない。従来は「土建予算」のばら撒きで集票を行って来たが、もう終わりだ。日本の国力とやる気を引き出すには如何にして2,3世議員を排除し地元出身の優秀な人を国会へ上げるかが重要なテーマだ。恵まれた環境の世襲議員

このような無能力な人達が議員の椅子を独占しているので、アメリカや中国と対等に渡り合えるような人が政治の表舞台に「政治家として」出られない。日本の大きな大きな損失だ。これからの時代なんと言っても政治の力が「国力のキーファクター」だ。