無駄使いを平気でする東京の舗道管理

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前から気になっていたのだが東京では10数年前から歩道にアスファルトではなく敷石(もしくは敷石もどき)を使っている。そこで気に入らないのが水道やガス、電気などの工事をするとそれまで敷石式舗道で保たれていた景観がいつの間にかアスファルトの醜悪な舗道に逆戻りしてしまうことだ。それも「まだら模様で」だ。

敷石を一旦どかしてその近くへ積んで置き工事が終わったら又元通りに敷き直せば良いのではと思う。その方が敷石を捨てる手間も費用もかからないし新たなアスファルト代もかからない。何よりも景観上から見ても良い。温暖化ガスの排出対策上でも良いはずだ。

今日は敷石を敷き直している現場に遭遇したので現場監督の人に話を聴いた。千代田区富士見のこの現場では関電工の下請けが電気工事を終わって敷石を元に戻していた。戻すのは大変結構だがなんと古いのを捨てて「新しい敷石」を敷いていた。勿体無い話だ。

「何でこんな無駄なことをするのか」と聴いたら「剥がす時に後で使えるように一枚づつ剥すのは、手間隙がかかるし機械化が出来ない。むしろ機械で能率よく剥して新品の敷石を敷いた方が安いんです。敷石は1枚70円ほどですから」と訳の分からないことを言っていた。剥すときはともかくとして今目の前では大勢の職人が手作業でせわしく働いている。ボランティアが只で働いているようには見えない。働いている人のほかに交通整理係が3人もおり、現場監督もその下も車の中で休んでいた。

東電では原則として敷石は元へ戻すそうだ。戻してくれるのは有難いがコスト意識は低そうだ。幾らお金がかかろうとも?金はある。実質的に競争はなくいざとなれば料金を上げれば良いのだ。

それでは早稲田通りの写真のペーブメントは誰が工事をしたのだろうか?東京ガスか水道局か?いずれにしても無責任な工事があるものだ。東京都の道路管理者も工事許可を出す時に「敷石は元通りにすること」を条件にしてはいないものと思われる。もししているとすれば「監督不行き届き」のそしりを免れない。

早稲田通りのブラックホール(もっと沢山あるが近所だけ写した。全部は写しきれない)

もっと勘ぐればわざと道路を汚くしてしまい、しばらくしてゼロから新しく作り直したいのかも知れない。そうすれば自分の息のかかった業者へ発注が出来、天下りの道も開ける。と思われてしまう位に「官への信頼感」は地に落ちている。