今日は午後2時から横浜市都築公会堂で都築オーケストラ「オータムコンサート2006」を聴いた。前にいた会社の同僚がストリングセクションでヴァイオリンを弾いており、もう一人の先輩がチェロを弾いている。
演奏会の看板 公会堂入口 オーケストラの幕間
総勢70余名の立派なフルオーケストラだ。指揮者の末長龍一さんがすごく良かった。メリハリの利いたアグレッシブな指揮で、これから弾くパートの人たちに向かって目線だけでなく体全体を向けて一歩踏み出して意思を伝える。言ってみれば『指揮の見える化』だ。団員にも聴衆にも分かり易い。パートの移り変わりが耳でも目でも追えて楽しかった。コミュニケーション力に優れた人だ。オーケストラを育てるのはこのような指揮者なのだろうと感心した。
曲目は
第1部
ワーグナー 歌劇「タンホイザー」序曲
ドボルザーク 交響曲第9番「新世界より」
(休憩)
第2部
モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」から
序曲
「愛の神よ照覧あれ」
「自分で自分がわからない」
「恋とはどんなものかしら」
「恋人よ 早くここへ」
「もう飛ぶまいぞ このちょうちょ」
第1部は都筑オーケストラのみの演奏で、第2部は序曲を除いて混声合唱団「夢のつづき」との協演だった。
都筑オーケストラはストリングセクションのみが優れていると思っていたが今日の演奏ではフルートやオーボエなどの管楽器も素晴らしかった。ティンパニーと太鼓のタイミングも実に良かった。全体として素人オーケストラの範疇を超えつつあるように思えた。地元にこのような優れたオーケストラがあることは何よりの「誇り」だ。「たまプラーザ」では月に1回住民でもある「N響メンバー」によるコンサートが行われている。
第2部の混声合唱団「夢のつづき」の合唱も良かった。人間の身体は最高の楽器であると言われた大指揮者がいたそうだが、オーケストラと合唱の掛け合いも実に楽しかった。モーツァルトだから余計に楽しい。残念なのは意味が良く分からないことだ。歌はやはり合唱曲といえども、オペラでは申すまでもなく「詩」が命だ。
以前渋谷のオーチャドホールで「ラ・ボエーム」を見たが、舞台上部に映し出される液晶の字幕を見ていると実に良く分かった。セリフが実に繊細でこれでもかこれでもかと畳み掛けてくる。涙を堪えても堪えてもこらえ切れない。実に憎たらしいまでの計算されたセリフ回しだ。字幕がなければ「ああ悲しんでいるんだな」くらいで終わってしまう。
外国語の出来ない人が「ボディランゲージで十分に役に立つよ」等と言う場合があるがとんでもないことだ。正式に話せるのとボディランゲージとでは百倍も千倍もコミュニケーションの質が違う。言葉が命の芸術作品では言葉の理解は決定的に重要だ。
英語の歌でも聴いただけではよく分からない。私の好きなリアンライムスの曲「COMMITMENT」では詩が決定的に重要な役割を与えられている。CDに同梱されている歌詞カードを見て漠然と印象していた内容と全然違った歌であることが分かった。日本の大半の歌謡曲でも歌詞の意味は同じことだが。
上野の文化会館ではオテロを見たが「液晶字幕」がなくよく分からなかった。古いホールではあるがやはり「液晶字幕」を入れるべきだ。分かりもしないイタリア語やドイツ語のオペラを聴いて分かったつもりになったら始末が悪い。原作者にも失礼というものだ。