JASIPA理事の沖縄の実家へ泊まった

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那覇市国際通のホテルJALシティに2泊の予定だった。2日目の日程が「美ら海水族館」だったので水族館の近くにホテルを変えることになった。一緒に行ったJASIPA理事の実家が水族館の近くにありホテルを良く知っているとのことだったので予約を電話で依頼してもらった。ところが理事のお父上のご意向で実家へお世話になることになった。

実家と弟さんの家(左の黄色い家)

実家は「美ら海水族館」から車で15分の所にあった。沖縄JSIPAの会員企業の幹部2人も招いて夕食会は開かれた。グルクンの唐揚げや近くの海で上がったマグロの刺身、沖縄特産の豚アグーのバーベキューなどの素晴らしい食事と30年物の泡盛の古酒で夜のふけるのも忘れた。

素晴らしいファミリーだった。お父上は何事にも一家言を持った方で、一緒に行った沖縄JASIPAのNさんと夜遅くまで熱く意見を交換していた。78歳とは思われない元気さと時局問題の正確な理解と自己主張にはただただ感心した。

「人に使われるのは嫌いだ。だから一生自分で仕事をした」。6人の息子さんもそれぞれ独立されて、「一国一城の主」となり、末っ子の方が親の仕事を受け継ぎ、道を隔てた所に豪邸を構えガーデニングの仕事をされている。

話は変わるが、沖縄の家は実に立派だ。本土なら豪邸に分類されるような家が幾らでもある。資材と工賃がべらぼうに安いのかと思って聞いたら、資材は本土から持ってくるのでむしろ高いそうだ。多分工賃は安いはずだ。一軒の家には2,500万円から3,000万円もかけるそうだ。但し、土地の多くは親から貰うので只だそうだ。土地代が上物よりも高い東京とは比較が出来ない。でもなんとなく政治の貧困は感じてしまう。下の写真はどちらも農家の家

沖縄の幸福の形を見た思いだ。これも戦争の大悲劇を乗り越えた彼岸にあったのだ。