ショートステイで小旅行(第2日目:岡倉天心の五浦へ)

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水戸への墓参旅行のついでに県北の観光地を廻ることになった。水戸・日立・五浦更に袋田の滝、水戸黄門で有名な西山荘を見て廻ることにした。

五浦の手前の大津港 漁港であるが国の予算を潤沢に使って結構広い。

2日目の今日は日立のホテルを出発して国道145号線を北上して岡倉天心の日本美術院で有名な海の景勝地「五浦(いずら)」へ行った。

天心記念五浦美術館 県立で建物は立派だが大観の絵も観山の絵も春草の絵も無い。高過ぎて手が出ないのだろう。ハードには金をかけてもソフト(絵画)にはきっと金が出ないのだ。広重の東海道五十三次の企画展をやっていた。自分の絵の無い美術館は企画展に頼らざるを得ない。天心の絵は数点あったがこれは子供が書いたような稚拙な絵でご愛嬌だ。天心は絵描きではなく今言う所の「キュレーター」だ。

岡倉天心は28歳の若さで日本芸術学校の校長になり明治の日本美術界のリーダーになった。しかし、守旧派の巻き返しに会い、職を辞してこの五浦の地に「日本美術院」を興し、横山大観、下村観山、菱田春草、などの明治画壇の俊英を輩出させた。

五浦の景観(その一)海の景観

五浦の景観(その一)六角堂を中心にして

五浦見学後、野口雨情の記念館を覗いてから袋田の滝へ向かった。雨情は有名な作詞家で「船頭小唄」や「赤い靴」「七つの子」「青い眼の人形」「シャボン玉」「十五夜お月さん」「樟城時の狸囃子」「波浮の港」「雨ふりお月さん」「あの町この町」をはじめ2,000余点の詩作を発表している。

作曲家の中山晋平、本居長世、藤井清水と親交があり、多くの名曲が生まれた。詩人の北原白秋、西条八十、石川啄木、画家・俳人である小川芋銭等との交友があった。

記念館の近くにある生家は水戸徳川家のご休息所で「観海亭」と称されており、地元では「磯原御殿」と呼ばれていた。