夏休み雑感(今年感じたこと)

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痛いほどの「蝉しぐれ」の中、あざみ野2階の書斎で久しぶりのブログを書いている。

今年は8月の7日からを夏休みと決めていた。実際は2,3件のスケジュールが入ってしまいズタズタの夏休みになった。14日の週は特に意識してなかった。結果は「見事に夏休み」になった。何もスケジュールは入らないし、アメリカからの毎日数十件のスパムメールを除くとメールも殆ど届かない。

あざみ野の休暇は庭の草取りに始って、植木の剪定・裁断など身体は実にきつい。東京の生活が中心になっているので「田園まさに荒れん」としている。一日に4回も5回もぐっしょり汗をかいてシャワーを浴び、又同じ様なことを繰り返す毎日だ。その割には、思ったほど体重が減らない。一日の締めでビールを飲んで沢山食べてしまうからかも知れない。

剪定でやっと空が見えた紅葉  

剪定された枝(一部を前庭に集めた)前庭の木は芝生に邪魔なので全部切った。見事だった芝生が見る影も無くなった。大きくなったサクラの木はどうしようもない。

 夜は戸外の仕事は出来ないので、テレビを中心に見た。終戦記念日が入っていたので戦争にまつわる話を沢山見た。一番印象に残り、許せないと思ったのは満州の関東軍が入植者を見捨てて自分たちの家族だけ先に列車を仕立てて逃げがし、自分たちも安全地帯へ逃げてしまったことだ。ソ連の参戦を知りながら、民間人には知らせず、犠牲を拡大したのは保身のためだ。精鋭部隊が南方へ転属になっていたとは言え、民間人を盾にして自分だけ逃げるなどということは許されない。もっとも沖縄ではもっと卑怯なことが行われた。軍人は官僚の最右翼だ。

 元関東軍の首脳には反省の色は一切無かった。他人事であり、「我関せず」の姿勢だ。そのクセ直前まで「関東軍の精鋭が守るので安心せよ」みたいな宣伝をしていた。

「極東軍事裁判」に今頃になって異を唱える人は多いが、国民としての又は日本人としての戦争責任をハッキリさせようとする動きはない。

 先のサッカーワールドカップでも、「敗因分析」はなされずに、ジーコからオシムに代わってしまった。川渕会長が記者会見の席で意図的にオシムの話を持ち出し、敗因分析から目をそらし、「自分の責任問題を回避」したと思っている人は多い。プライドなき指導者だ。こんな人の下で「欧米に伍していける日本サッカー」が出来るとは思えない。

農耕民族の日本では指導者は育たないのかもしれない。隣が田植えをすれば自分も田植えをし、稲刈りをすれば自分もする。その様な状況では指導者は必要ないし、決断をすることも無いので責任を取る必要もない。しかも、いざとなれば「曖昧な連帯責任」だ。

でも何時まで日本人は農耕民族なのだ。GDPに占める農業の割合は数パーセントしかない。農耕民のぬるま湯につかっているときはもうとっくに過ぎている。今や「世界相手のファイター」のはずだ。「ファイティングスピリットを韓国に学べ」かな?一寸情けない!!