日露戦争100年展を見た

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今日は靖国神社の「遊就館」で「日露戦争百年展」を見た。

「遊就館」の写真(外観)

「遊就館」の写真(内部)

司馬遼太郎の「坂の上の雲」などを読んでいたので大体のことは解っていた。

司馬遼太郎の話が真実に近いのか、展示が歴史的に正統なのかは分からなかったが、秋山兄弟の扱いがいかにもお粗末であった。真之は小さな写真はあったが兄の好古は何も無かった。

203高地を攻めあぐねて無益な戦いを繰り返した戦略の無い乃木将軍が戦功のある軍神になっていた。大山巌が横須賀に有った大砲を持って行き、その大砲でトーチかを粉砕して勝利を収めた話は有名だ。 大山巌の扱いはなんでもなかった。この戦いで戦死した人が大きく取り上げられていた。靖国神社の企画なので仕方が無いのかも知れない。この程度のことであれば「日露戦争百年展」の名前に値しない。

連合艦隊(東郷元帥他)

飫肥に行った時に小村寿太郎の記念館で見た小村寿太郎の実物大の人形が余りにも小さいので驚いたことを思い出した。

調停をしてくれたアメリカは中国に渇望に似た興味を持っていたようだ。南満州鉄道の共同経営を日本に打診してきた。弱腰の日本政府首脳は已む無しの結論だった。小村はこれに反対してアメリカの申し出を断った。

これを根にもったアメリカが日本を標的として数々の嫌がらせ(ハラスメント)をして日本を第2次大戦(太平洋戦争)へ追い込んだという説には説得力がある。

明治の最高の外交官であった小村寿太郎でさえも植民地が欲しくて喉から手が出ているのに大義を説いているアメリカの本音を読取れなかったのかも知れない。

ハーバード時代の友人は何も教えてくれなかったのか、それとも友人はいなかったのかな?「賠償金」が取れなくて国民的な不人気に陥っていた寿太郎としてはアメリカの本音に配慮する余裕が無かったのかも知れない。

もしそうだとすれば小村を追い込んだ日本人自身が太平洋戦争へのロードマップを自分で作ってしまったことになる。これもまた「愛国心」の結果だ。