半藤一利著「昭和史(1926~1945)」を読んだ

Pocket

最近日本の近代史・現代史に興味を持っている。現在の日本の情けない状況はどこから来ているのか探るためだ。連休に半藤一利さんの著書「昭和史(1926~1945)」を読んだ。明治維新以来営々と積み重ねてきた日本の繁栄が昭和の前半で灰燼に帰してしまった戦争の歴史がそこにあった。書評

昭和史には無数の無責任が横行している。政治家・官僚・陸軍軍人・海軍軍人・新聞を中心としたマスコミ、それに踊らされた民衆、全てが「視野狭窄で」無責任だ。ハーメルンのネズミのように破滅に向かって先を争って進んでしまった。より多くの情報を持っていたはずの海軍軍人も最後には「無責任な(勝算の無い)日米開戦」へと同意する。軍人の無責任と無反省は目に余る。乙女のごとき希望的観測。これでは確率論の戦術はたたない。

日露戦争に勝ったことが今回の戦争に負けた大きな要因になっている。いわゆる「成功の誤謬」だ。遠方よりやって来たバルチック艦隊を迎え撃った日本海会戦の図式が対米戦争にも当て嵌まると考えていた。日露戦争では遠路航海の節々で同盟国イギリスが陰に陽にバルチック艦隊を苦しめて日本を応援してくれた。

物量豊富なアメリカ海軍は狭い対馬海峡などではなく太平洋を堂々と数十艘の戦艦・空母・補給艦・軽巡洋艦・駆逐艦・潜水艦が更に探索部隊の重巡洋艦10数隻に先導されて「大輪形陣」を造って進んでくる。日本海海戦の戦術など何の役にも立たない。日本は陸海軍共に敵を余りにも知らない。自分の戦力評価にも客観性がない。これでは100戦全て危うい。

「情報戦」でも迂闊だった。日本の暗号がアメリカに解読されていることなど露知らず外交伝令も作戦指令も全てこの暗号を多用した。山本五十六が襲撃されたのも暗号を解読して行動が知れてしまっていたからだ。この時点でも未だ暗号解読の可能性を検証していない。日露戦争で明石大佐等のした情報戦の教訓は何処にも生かされていない。対日戦争準備で忙しいスターリンへ「終戦の仲介役」をお願いするの愚に出ている。

未だに非難されている宣戦布告通知が真珠湾攻撃のあとでなされた件でもアメリカは在米日本公館への電報を解読しており「事前に」分かっていたとする説が有力だ。それにしてもこの時に大使館に居た連中は仲間内の宴会を優先して暗号の解読を後回しにしてこのような失態を犯した。これこそまさに国賊ものだ。奇襲から1時間遅れてハル長官に「宣戦布告通知」を届けたそうだ。ハル長官は「こんな恥知らずな外交文書を受け取ったのは初めてだ」と声を荒げた。外交は形を整えた戦争だ。ここで形を作るのに失敗した。もし戦争に勝っていたとしても外交上は卑怯な振る舞いで非難されかねない。この責任を取った外交官を知らない。

この辺からアメリカは「リメンバー・パールハーバー」の合言葉の元に一致団結して日本たたきに走った。当時の野村大使(大将)は外務省改革を進めており職員との間に意思疎通で齟齬がありこのような事態を招いたとの説もある。ミッションの無い日本外交の問題は今に始まったことではない。長い、長い歴史がそこにはある。大きな「国益優先」の理念が無い。日本はハードパワー(軍事力)でアメリカに負けただけではなく今流行の言葉で言えば「ソフトパワー」でも負けた。未だにソフトパワーである外交・国際政治では負け犬の状態が連綿と続いている。いつの日にtake off?