凄かった東日本巨大地震!

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凄い地震だった

とりあえず、会社も社員も無事です。皆さまのご心配ありがとうございます。

昨日、2:46、私は、忙しく遅いランチで食堂で注文したところだった。いきなり揺れて、食堂の壁に設置してあるテレビがいきなり2mくらいのところから落ちる、厨房の奥からは皿が割れる音、棚が倒れる音、とにかく凄い揺れだった。

社内はというと、ビル自体は耐震構造になっているビルなので倒れる恐れはないが、その分、揺れが凄い、5階でもあるのでかなり揺れる。

棚の本は落ちる、机の引き出しは出てくる(開く)、机の上のノートパソコンは床に落ちる、タワー型サーバはラックから下に落ちる。悲惨だ。

2回目の大きな地震のときは、社員皆、近くの公園に避難した後だったので、次の心配は社内の備品のほうだった。

SIPの凄さ

地震と同時に、電話網は一切ふさがった。携帯は、通話は使えない、メールさえも届くのは、2時間後だった。

私は、社員と連絡を付けたく悩んだ!

答えは簡単だった。 このような時、インターネットは不通にはならない。そこですぐSIPが使えることに気づき、SIPのソフトフォンでインターネット経由で社内のSIPサーバに繋げた。

あっさりと社内にも外部にもSIPで電話ができた。これぞSIPの強さだ。携帯電話なんて何の意味もない!

早速、各自家庭もあるので、コンピューター関係だけは非難させ、帰宅を指示した。

何と、外部サーバ以外で、社内にある中では一番大事なファイルサーバーは、頑丈な会議卓の下に避難させたのは、素晴らしい。

交通機関、全不通

社員全員に、帰宅を指示したが、都内の電車は全面不通だ。

子供が学校で待っている社員もいる。

私はすぐに、エルグランドに乗り、社員を送ることにし、会社へ向かった。主要道路は、歩道を歩く人がいっぱいだ。川越街道も中山道も明治通りもものすごい人だ。

どうにか会社にたどり付き、最初の社員を乗せたのは夕方の4時だった。それからが大変だった。

道路は渋滞で、なかなか進まない、細い裏道を使って送っていった。学校にたどり着いたとき、社員の子供たちの顔を見てほっとした。

そこから、会社へ戻り、また社員を乗せ、車を走らせた。

その間も、携帯では無く、SIPソフトフォンで電話連絡をとりあった。(SIPフォン最高!)

今度は、日光街道(国道4号)、これもすごかった。極度の渋滞、こんなの見たことない、常に歩道は、電車が無く歩く人でいっぱい、車より、歩いたほうが速い? なんても思った。

国道4号は長かった! でもその家に着くとほっとした。帰りの渋滞は想像したくなかったけど・・・

家から、社員の吉田のお母さんが夜遅いのにわざわざ出てきてくれ、笑顔に癒された。

途中、お腹が空いてコンビニによると、おにぎりも弁当もパンも何もない。

どこのコンビニに寄っても同じ状態だった。

なんだかんだ、家に着いたのは、夜中の1:30だった。夕方から、気が付くと9時間30分も運転し続けていた。

もう腰が痛くて、立てないくらいだった。夜中は、緊急地震速報がやたらとテレビと携帯で鳴り、全く落ち着けずの一晩だった。

でも、夜中でも川越街道をひたすら歩く人たちは、私の腰痛以上だったと思うと大変だったと思う。

災害の交通マヒ

でも東京は、電車が動かないと全滅なんだと思った。

電車が駄目なら、バス、タクシー、連絡して家の人や友達に車で迎えに来てもらう。

でも、道路がが重体で全く動かない、タクシーもバス、自家用車もすべて駄目!それが、下りは帰るひとで渋滞、上りは迎えに来る人で渋滞、全く動かない。

政府は、職場に待機するような、呼びかけをしたが、正しいかもしれない。歩いている人達は、各コンビニに一杯だった。トイレだったり、食べ物や飲み物の補給、大変なことだ。

都内の自転車屋さんは、自転車が完売だった。すぐ自転車を思いついた人が一番賢いかなぁ。

皆さん、お疲れ様でした。

10件のコメント

  1. sasuke

    河村社長あなたは、素晴らしいです。社員のことを思う心素晴らしいです。

  2. 実際にあった災害時のSIP活用方法!

    BLOG_NAME アクション・システムズ社長ブログ ~ 「今が勝負!!」
    災害時のSIP活用方法 先週11日(金)に発生した「東北地方太平洋沖地震」の発生直後から、携帯電話が不通になった。 弊社では、本社のSIPサーバー(電話交換機)に接続し、電話で..

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